イエスに信仰を働かせる為に、必ず弟子にならなけならないということを意味している訳ではない事を前の記事で書きました。聖書が次のように述べているとおりです。

 

 「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです」ヨハ3:16.。

 

 神のご意思は全人類を救うためにあります。

被造物の人間の側で、このことに異論を唱える事ができる者は、一人もおりません。

 

 では、人はどのようにして人はイエスに信仰を持つ事ができるのでしょうか。

 また、信仰を働かせるとはどのような意味ですか。

 その事について少しシリーズで書いてみます。

 

神の名は知らなくてもイエス・キリストの名は世界中何処でも知れ渡っております。

 まるで、それが神の意図のようです。

 

 問題はその先です。

「聖書」は次のように述べております。

 

 イエス・キリストは神の子であるとの告白をする者がだれであっても,神はそのような者とずっと結びついておられ,その人は神と結ばれているのです。ヨハ一4:15.。

 

 また、ロマ10:9もご覧下さい。

 

 その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。

 

     ヨハネ3:16で「自分の独り子」と呼んだ方のこと。すなわち、

     

 イエス・キリストは神の子。神から遣わされた方である。

 
 まず、最初に来るのがこの言葉です。

信仰を持つことで難しい言葉は一つも必要ありません。

非常に単純で明快な言葉です。

イエス・キリストは神の子です。

神から遣わされた方です。

誰でも子供でも言える言葉です。

 

信仰はここから始まります。