一言でクリスチャンと言っても。

 カトリックのクリスチャン、あるいはプロテスタントのクリスチャン。さらにはエホバのクリスチャン証人。単にクリスチャン。現代のクリスチャン。一世紀のクリスチャンと随分と呼び名があるもんだと思います。そしてそれぞれに異なった意味合いもあれば同じものでありながらあえて異なった呼び名を選ぶ場合もあるようです。

 

     クリスチャンと言う言葉に定義を付したいと思いました。

 

     原点は原点です。

     それ以外に何もありません。

 

     クリスチャンの名称は、原点に戻ると使徒11章26節に尽きます。引用します。

 

 「・・・・・ そして,弟子たちが神慮によってクリスチャンと呼ばれたのは,アンティオキアが最初であった。」

 

     それは「神」が与えた名です。

 このとき、パウロとバルナバがアンティオキアの会衆に留まって1年の間相当数の人々を教えていたとあります。(使徒11:26)

 従って、そうした名で呼ばれるように神を導いたのはパウロとバルナバであったようです。

     赤字の「と呼ばれた」と言う表現は、ギリシャ語の動詞クレマティゾーを訳したものですが、その言葉は神託のような超自然的な事柄と結び付けられて使われるようです。

 「ヤングの字義訳」では「弟子たちは神意により」となっていますし。ストロングの「聖書詳細用語索引」では、「神託を述べる・・・・・すなわち神意により暗示する]と定義しています。(洞察808P)

 

     パウロの活動としてはまだ早い時期だったようです。(西暦44年頃)

「イエスがキリストであったこと。死人の中からの復活のこと、天に挙げられたこと。再び到来すること。信仰を持つ者に永遠の命を与えられること。命であり、復活であること。天に高めらられ神の命令を待って敵を従えて行くこと、約束の胤であること、イスラエルの預言者たちがずっと追い求めていた方であること、ヘブライ語聖書はすべてイエスによってハイとなったこと・・・などなど」イエスに関する真理を力強く証ししていったと思われます。

 

     パウロはエフェソス5:23,24の中で「会衆」のことを「キリストの花嫁」になぞらえております。

その意味において、妻が夫の名を喜んで唱えるように「クリスチャン」の名称を彼らが受け入れたことは、確かに神意によると考えることが出来ます。

 

     このことから何がわかりますか?厳密に言うと「クリスチャン」とは西暦一世紀のクリスチャン会衆「天のエルサレム」、「キリストの花嫁」、「霊的イスラエル」に属する人々に限定して用いられる言葉であったと言うことです。

 そして、この言葉は主に会衆の中の人々で用いられていましたが、西暦58年頃には王ヘロデ・アグリッパ2世にも知られるようにな「あなたはわずかの間に・・・・・私をクリスチャンにならせようとしている」使徒26:28.と語らせました。

 

     さて、時がたち、この会衆に多くの人が入り込み、サタンによって撒き足された雑草がはびこるようになり、予告されていた「背教」が始まりました。そして、西暦3世紀にローマが「国教」とする事によって「偽クリスチャン」による「キリスト教」の支配が始まり、そして今日に至っているというわけです。

 

     一言でクリスチャンと言っても「真のクリスチャン」と「偽のクリスチャン」に分けられることは上記の説明で明らかです。

 

     ここまでを整理して。

「真のクリスチャン」とは:

 一世紀の初期のクリスチャン。聖霊で油注がれたキリストの花嫁。霊的エルサレムに限定されます。

 

「偽のクリスチャン」とは;

 一世紀に既に作用し始めたサタンによって撒き足された「雑草」たちによるキリスト教の信者たち。

 

 今日の自称「クリスチャン」はみなこの中に入ります。カトリックもプロテスタントも、そして勿論、「エホバのクリスチャン証人」と言うわけのわからない名称もこの中に入ります。

 だから・・・雑草の一部だったんです。

 

 さて、「この道」と呼ばれる人はどうなんでしょうか。これについては次の機会に。