ものみの塔誌に「統治体」という言葉が始めて登場したのが1944年10月15日号だそうです。しかし、頻繁に使われるようになったのはノア会長の頃で、R・V・フランズが統治体に招待された71年の頃は11人。その後、例のゴタゴタ劇(法人との分離)の改革の後、多い時は18人で構成されていたようです。

     世界中の支部や国から毎日のように様々な問題の答えを求めて手紙が届きます。統治体は必要に応じてそれら切実な問題に答えを出さなければなりません。

(夫婦間の性に関すること。仕事と中立に関すること。仕事と会衆の立場のこと。排斥と忌避のことなどなど様々・・・・・・。)

 

     決議は成員の2/3の過半数で決められます。もし、議事出席者が少なくて2/3の賛同数に満たなかったら否決もしくは次に伸ばされます。なんとも人間的な方法で扱われていたんですね。

 

     ここで、皆さん方ならどう判断されるか考えてもらいたい一つの事例があります。

 

 それは、1964年から始まったマラウイのエホバの証人に対する迫害と暴行事件のことです。(64年、67年、72年、75年と次々に起こった)

 

 当時の支配政党は国民全員に党員カードを買わせる義務を果たしました。ところが、エホバの証人がそのカードを買うことは政治に対する参加であり、クリスチャンとしての妥協。神に対する不忠節である。という指針を支部から受け取っていました。その指示にはブルックリン本部からの承認を得ていたのです。

 その結果、党員カード買うことを拒否したエホバの証人は全国規模の集団暴行事件に直面し。多くの者が殺され、多くの女性が強姦に遭い、9千人がザンビアに、1万1千人がモザンビークに逃れたのです。

 

     皆さんが統治体の一員になったつもりでこの問題を判断するとすれば、どんな結論を出されたでしょうか。

 

     ちなみに、こうした結論に至るまでの統治体の意見は次のようなものです。

 

「妥協のそぶりさえあってはならない」。

「決し妥協があってはならない。・・・・・・・中立の立場、『世の者ではない』立場・・・をはっきりさせたい」。

「世界中何処でも一致した立場を取るべきだ。これについては断固とした態度を持たないといけない。・・・」

『カエサルに屈服する者は神を証しする証人ではない。』などなど・・・・・・。

     (この意見は「代替公務」についてマラウイで起きた事件を背景にして話し合われたものの一部です。)

 

     わたくし自身、かつてマラウイのこの出来事を忠節の見本、信仰のお手本みたいに演題で扱っていたことを思い出しますが、今思えば組織の提供する情報は絶対みたいなところが有りましたからやむ終えないといえばそういうことです。

 それにしても、党員カードとは何ぞや?答えの得られないまま組織の言われるままに物事を扱っていた自分が恥ずかしくて仕方がありません。

 

     この項、続きます。私の答えはその時にしたいと思います。