前回のブログでは、初回手術から2年7ヶ月が経過して、やっと自分の鼻が「普通」ではなくなったことを認められるになったことを書きました。

 

ここで言う「普通」というのは、形の美醜のことではなく、人間が生まれ持った本来の自然な鼻の状態のことです。

 

この地球上に、自分と、自分を心から受け入れてくれている人間(夫、妹、父親)しか存在していなければ、これ以上悩むことは何もないのですが、もちろんそんなわけにはいかないので、色々と悩みが発生します。

 

生きていくためにはどうやっても人に会う必要があります。(食料、日用品の買い出し、病院への通院など)

 

こんな顔なので、家から外に出る時はマスクの着用が必須です。

 

今は皆もマスクを着けていますが、蒸し暑くなる頃にはほとんどの人が外していくでしょうし、来年再来年には屋内でもノーマスクが当たり前になっていくでしょう。

 

そうなってくると、「あの人いつまでマスク着けているんだろう」「真夏なのにマスクしておかしい」と思われるのではないかと、怖くてたまらないのです。

 

自意識過剰ですよね。

誰も私のことなど気にもしていないだろうと、頭では分かっているのですが…。

 

 

そういえば、コロナが流行するよりもっと前のことですが、顔面が痒くてたまらない皮膚病になり、ボコボコで傷だらけだった時期がありました。

その当時はステロイド剤に頼るのがどうしても嫌だったので、自然に治るまで放置していて、1年近くマスクを着用していました。

職場でも絶対にマスクを外さなかったので、「なんでずっとマスクしてるの?」「いつまで着けてるつもり?」などと色々言われましたが、皮膚病が治ったらいつでも外せるし~と思っていたので、自分だけがマスクを着けていて恥ずかしい、などという気持ちは一切なかったのです。マスクを外すのは恥ずかしくて嫌でしたが。

 

けれども今は、美容整形をしたことが絶対にバレたくない、しかも失敗して不自然になっているので、こんなのが露わになったらネタにされて笑い者にされる、という恐怖心がすごくあるので、マスクを外すのが恥ずかしくて嫌なのはもちろんですが、この状態は絶対に治らないので、自分だけが一生マスクを外せないということも恥ずかしくてたまらないのです。その羞恥心であったり孤独感が、余計に自分を苦しめています。

 

ただでさえこんな鼻になって辛いのに、人からそれを笑われたり、一瞬でも変な目で見られたりしたら、今の私の精神ではきっと耐えられません。プライドが高すぎるのでしょうか…。

 

少し話が逸れましたが、私の場合は、過去の経験のように「病気」であれば、マスクを着用するのはやむを得ないことだと自分が納得できるので、マスクを着けることに羞恥心や抵抗はあまりありません。

 

そうであれば、今の状態をどう捉えれば自分を納得させられるのかを考えました。

 

そこで思ったのは、美容整形手術の失敗というのは医療過誤なので、事故と同じだということです。(お前は自分から望んで手術を受けたのだから自業自得であって、事故ではない!被害者面するな!という反論は、ここでは受け付けません)

 

 

事故により、鼻翼が欠損し、鼻翼の形状が不自然になり、陥凹瘢痕が残った。

そのことでメンタルが不安定になり、それにより外出が困難になり、社会復帰ができなくなった。

それは明らかに「障害」なのではないかと思うのです。

 

交通事故で負った外傷が、治療後も傷跡、瘢痕、ケロイドといった醜状痕を残す後遺障害のことを「醜状障害」といい、顔面部に残ったものは「外貌の醜状障害」と呼ばれています。

 

私の場合は美容整形手術によってできた醜状痕なので、上記の「外貌醜状」には全く該当しないのですが、精神的苦痛に対する「後遺障害慰謝料」と、社会復帰が困難になったことによる損害に対する「後遺障害の逸失利益」を要求したいくらいです。

今となっては訴えることもできませんし、する気もないので、もうどうでもいいのですが…。

 

また少し脱線してしまいましたが、今の自分は「外貌の醜状」が日常生活を送る上での「障害」になっていることは確かなので、自分は「外貌の醜状障害」を持っているから、マスクを着け続けることは仕方のない事なのだ、と思うことで自分を納得させることにしました。

 

事故で手を失った人が義手を、足を失った人が義足や車椅子を使うのと同じで、鼻翼を欠損したのでマスクを着ける。ただそれだけの事だと思うことにします。

 

けれどもそこに、私は事故の「被害者」だという意識は持たないように気を付けなければなりません。

 

自分から依頼して起きた事故で、自分がその医師に依頼しなければ、もっとよく考えていれば、そもそも手術なんてしなければこんなことにはならなかったので、「被害者」ではありません。

 

ただ自分の軽率な判断によって事故に遭い、「障害」を負い、一生マスクが必要な顔になった、というただそれだけの事です。

 

このくらいいつもドライな気持ちでいられたらラクなのですが、家から一歩外に出ると途端に気持ちがざわついてしまいます。

 

どんな場面でも淡々としていられる自分でありたいものです。

 

今日は取り留めがない内容でしたが、自分の心の整理になりました。

 

ここまでお読みいただいた方がいらっしゃいましたら、大変ありがとうございます。