こちらのブログではこれまでに何度も書いていますが、私は美容整形手術によって、鼻翼を切り取られ過ぎたことで鼻翼が欠損し、不自然な鼻になりました。マスクなしでは到底人前に出ることはできません。

 

最初の手術を受けた日から2年7ヶ月が経過し、ようやく自分の鼻が「普通」ではなくなったことを認めることができるようになってきました。

 

今更?と思われるでしょうが、この期に及んでもなお、

「もしかしたら他人から見たらそこまで変には見えないのかも?!」

「自分が変だと思い込んでいるだけなのかも?!」などと思い、

1日に何度も色んな角度から鏡を見て確認しては、

「やっぱり不自然だわ…」と落胆したり、

「この明るさでこの角度なら変に見えないかも!」と無理に自分を納得させたりしていました。

 

けれども、数日前にまじまじと鏡を見ていた時、

「ああ、私の鼻はもう【普通】ではなくなったんだ。鼻翼が欠損して、縫合痕がくっきり凹んでいて不自然な形の鼻が、これからの私の鼻なんだ」と、突然腑に落ちたのです。

 

もう降参しました…!という感じです。

 

その日からは無駄に鏡を見て確認することがなくなりました。

見ても意味がないことに、やっと気が付いたのです。

 

 

ところで、アメリカの精神科医であるエリザベス・キューブラー・ロス(1926~2004)の「喪失の5段階」をご存じでしょうか?

 

死に直面した時にたどる心理的プロセスです。

「悲嘆のプロセス」などとも呼ばれています。

 

「究極の喪失」を人はどのような過程で受け入れていくのかを5段階に分けたものです。

死に限らず、小さな喪失の場合にも、同様のプロセスを辿るとされています。

 

第1段階:否認と隔離

予期しない現実に直面した時、そのショックをまともに受けないために、まず否認が起きる。

「そんなわけがない!」と否定してパニックに陥る。

 

第2段階:怒り

「なぜ自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか!」と怒りや恨みの感情が湧く。

 

第3段階:取引

喪失の恐怖から逃れるために、何か(神仏など)にすがろうとする。

失ったものを取り戻そうと取引きし始める。

 

第4段階:抑うつ

喪失を避けられないことが分かり、絶望し、無力感に苛まれ、うつ状態になる。

 

第5段階:受容

現実を静かに見つめることができる。

最終的に喪失を穏やかに受け入れる。

諦めの境地。

 

 

第1段階~第4段階が同時に起こることも、

第2段階→第1段階、第1段階→第3段階、第3段階→第1段階に戻ったりすることもあるそうです。

 

まさにその通りで、私もこのようなプロセスを辿ってきました。

 

初めての手術後、これは失敗なのでは?おかしいのでは?と感じつつも、いやいやそんなわけがない!となかなか認めることができませんでした。

 

そのため、鼻翼縮小の仕上がりが滅茶苦茶であったにも関わらず、その修正ではなく、鼻先が大きくて丸いのがおかしい原因なのだと思い、1ヶ月後に半ば勢いで鼻尖縮小の手術を受けました。今思えばパニック状態でした。

(…アホすぎて呆れますね。手術としては成功しましたが、将来的に問題が起こる可能性はゼロではないので、いつ発動するかわからない爆弾を抱えているようなものなので、後悔しかないです)

 

その後、初回手術の執刀医への怒り憎しみ恨みが止まりませんでした。

どんなに残虐非道な妄想を脳内で繰り広げても、怒りが収まることはありませんでした。

 

次に、この苦しみから逃れたい一心から、スピリチュアルのブログやYouTubeを見漁りました。また、修正手術を何としても成功させたくて、善行を積もうと出先で使用したトイレを掃除したり、1日に1000回「ありがとうございます」を言う取り組みをしたり。わざわざバードウォッチングの測定器を買って、カチカチカウントしながら「ありがとうございます、ありがとうございます…」とぶつぶつ唱えたりしていました…(恥)何かにすがっていないと正気でいられなくなりそうで、必死でした。

禊(みそぎ)なのか、自己懲罰なのか、自分でもよくわかりませんが、頭をバリカンで丸坊主にもしました。今思えば相当おかしい心理状態です。

 

そして修正手術が終わり、熟練の医師の技術を以ってしても、1度目の手術で滅茶苦茶になった鼻の不自然さを改善することはできなかったという現実に直面し、第4段階に入りました。

 

これ以上の修正は不可能(これ以上切ると鼻翼がなくなってしまいます)となり、手術前のようにマスクを外して外を歩いたり、人目を気にせずに外食をしたり、社会の中で人と交流することなど、これまでは当たり前にできていたことが全てできなくなったという事実を受け入れる覚悟を決めなければならない局面に立ち、これまでに経験したことのない絶望感に苛まれました。

 

何もやる気がなくなり、死ぬことばかり考えていました。

ストレス性胃腸炎にもなりました。

 

この状況を打破したくて、メンタルクリニックを受診したりもしました。

 

どんなに優しくてあたたかい言葉をかけられても癒されることはなく、この悲しみは、自分でしか癒せないのだと思いました。



第4段階の抑うつから第1段階の否認に戻り、また第2段階の怒り→第3段階の取引き→第4段階の抑うつへと、ぐるぐる無限ループを繰り返して来ました。


2年7ヶ月が経過して、今ようやく第5段階の受容に移行しかけているところです。


ですが、今はまだ世間の大半の人がマスクを着用しているので、私も普通に外出できていますが、半袖の季節になる頃にはほとんどの人がマスクを外していくと思いますので、また抑うつ状態に逆戻りすることでしょう…。


外に出られる顔を失うというのは、自分が半分死んだようなものなので、その喪失を乗り越えるのは容易ではありません。

何年もかけて一進一退を繰り返しながら乗り越えていくのだと思います。



最後に、私と同じような目に遭われた方へ。


今は、死ぬほど悲しくてみじめで苦しくて孤独で、1日でも早く死んで楽になりたいと思われているかもしれませんね。

私も早く死んでこの体から離脱したいです。


けれども、私は自殺はしません。

どんなにみじめでも、寿命まで生き抜きます。


今はこの絶望のどん底が一生続くように思えますが、必ずどこかのタイミングで第5段階の【受容】に行き着いて、心の平安が訪れる日が来ると、私は信じています。(何だか宗教じみた表現だな…)


辛くて苦しくてたまらない時は、この日本のどこかに同じ悩みを持つ同志がいることを、どうか思い出してみてくださいね。