66冊目
「少女不十分」
西尾維新
講談社ノベルズ
僕は京都に住む小説家志望の大学生。
いつものように自転車で大学へ向かっていたある日、僕は見てしまった。
各々が別々のゲームをプレイしながら歩いている、ランドセルの少女2人組。
そのうち1人がトラックに轢き殺されるのを。
そして残された少女が、ゲームをきっちりセーブし、電源を切り、ランドセルに戻してから、轢き殺された少女に駆け寄り、号泣していたのを。
1週間後。
僕はその少女に誘拐され、少女の家に監禁された…
西尾維新が10年目にして辿り着いた、原点回帰にして新境地の一作。
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『原点回帰にして新境地』とか、『この本を書くのに10年かかった』とか、『西尾維新が講談社ノベルズに帰ってきた』とか、アピールしたいのは分かるけど、ハードル上げすぎなんじゃないの?
手に取ったときはそう思いました。
ぶっちゃけ、西尾さんは長いシリーズものになればなるほど独特のテイストが出てくると思っているので、「ノンシリーズだし、あんまり期待せずに読んだ方がいいよなぁ」と思ったのは否定しません。
しかし、全くの杞憂でした。
京都という舞台。
大学生と小学生という、ありきたりな肩書きを持つ登場人物。
特殊な能力や性質も出てこなければ、軽妙な会話の掛け合いもない。
それなのに、どこからどうみても西尾維新の作品だと思ったし、これまでの作品中でもズバ抜けて西尾維新らしい作品だな、という印象を受けました。
この物語は、デビュー10周年に達した小説家が、過去にあった体験を語るという設定なのですが、『京都で大学生をしていた10年前に小説家デビューした』といえばもちろん西尾さん自身のことなワケで。
そんな設定にしたというのも、この作品に対する意気込みというか、それに類するナニカがあるのかな、なんて思ってみたり。
それと、物語の終盤に、「僕」が脳内で作り上げた様々な物語を語る場面があるのですが、その物語が『戯言シリーズ』だったり、『きみとぼくシリーズ』だったり、『化物語シリーズ』だったりするのですよ。
そのシーンでは、やっぱり「僕」は西尾さん自身がモデルなんだなー、などと再び感じたりしたのですが、そこで「僕」は更に、物語全てに共通するテーマも語っているんです。
そのテーマはもちろん、「僕」のテーマなんですけど、物語の性質上、『西尾維新の語る、西尾作品のテーマ』でもあると思うんですよね。
で、何が言いたいかというと、そのテーマが、私のイメージしている西尾作品の特徴ととても似ていて、何か嬉しい。っていうだけのことなんですけどね。
ハイ。只のファン心理でございますよ。
まあとりあえず、とても面白かったです、ということが伝えられれば、満足です。
『原点回帰にして新境地』という看板に、偽りなしでした。