65冊目
「水底フェスタ」
辻村深月
世間の狭い田舎での暮らしに心底倦んでいる広海は、地元で行われる野外ロックフェスで、村出身のモデル・由貴美と出会う。
村も母親も捨てて東京でモデルとなっていた筈の由貴美は、突如帰郷し、村に住み始めたのだ。
彼女に魅了された広海は、村長選挙を巡る不正を暴き「村を売る」という由貴美の復讐を遂げさせるため、協力する。
だが、由貴美が本当に欲しいものは別にあった。
辻村深月が描く一生に一度の恋。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
複雑な話だなー、というのが第一印象でした。
旧態然としていて、嫌気が差すくらいに保守的で排他的な村。
それだけが個性だった筈の村に秘められた、黒い影の部分。
村の影なる部分の被害者である由貴美と出会うことによって、広海の熟知している筈の村は新たな姿を見せ始める。
そして、各々の思惑が交錯した時、悲劇が…
何だか、読んでいるこちら側でも選択を迫られているような、そんな気分になる物語でした。
あなたはどちらが正しいと思いますか?
あなたはどちらが真実だと思いますか?
あなたはどちらが、真実であってほしいと思いますか?
そんなような感じで、どちらとも判断できない問いが、次々と頭の中に浮かんでくるような。
先に進んで早く真実を知りたいような、しばしとどまって考えを整理したいような、複雑な気分になりました。
あと、何となく思ったのが、「オーダーメイド殺人クラブ」と対を成しているような話だな、という事。
「オーダーメイド殺人クラブ」は、子供が大人(周囲の大人社会)に反逆を企む話。
その青い行動に共感する為には読み手側に「若さ」が必要だけれども、物語の結末を味わうにはある程度年を経た「大人」の感覚が必要だな、と読了時から思っていたのです。
それとは逆に「水底フェスタ」は、大人が子供に反逆された話だな、と感じました。
もちろん主観は広海なので、子供が大人に反逆する話ではあるんですが、「オーダーメイド殺人クラブ」ではあまり感じられなかった、大人社会の強固さみたいなものがありありと見えていて、広海が負け戦をしている印象が強いんですよね。
でもって、その青い行動と大人たちの対応を描いたこの物語を理解するには、「大人」の感覚が必要なんだけど、結末を味わうにはある程度「若い」感覚が要るんじゃないかなぁ、と。
だから何だ、ってこともないんですけどね。
ただ、「水底フェスタ」も「オーダーメイド殺人クラブ」も、何年かごとに再読したら違う受け取り方ができるんじゃないかな、と。
1回や2回、今という年齢だけで理解するようなモノではないのかな、なんて思いましたね。