36冊目
「『鍵のかかった部屋』をいかに解体するか」
中俣暁生・舞城王太郎・愛媛川十三
バジリコ
珍しく評論集なんぞを読んでみました。
とはいえ、舞城王太郎の短編小説が2編と、愛媛川十三(舞城作品の登場人物で小説家。ま、要は書いてるのは舞城さん)の評論が1編収録されているから買ったのですが。
中俣さんの評論も、論じられている作家自体をあんまり読んだことがないにも関わらず、それなりに興味深く読むことができましたが、評論を論じるなんていう高度なことはできないので、舞城さんの短編の感想でも書きましょうかね。
「僕のお腹の中からは多分『金閣寺』が出てくる。」
父の弟、つまり僕の叔父にあたる大祐さんは、父に頼みごとがあったのにずっと袖にされ続けたため、その腹いせに僕たちの家にやって来て玄関先で切腹した。
横一文字に切り裂かれた大祐さんの腹の中からは、腸と一緒に1冊の本が出てきた。
石原慎太郎の「青春とはなんだ」という本だった。
その後、僕は順調に年を重ねるが、大祐さんの腹から出た本のことがずっと気になっていて・・・という話。
実はこの短編は、中俣さんからの依頼により書かれています。
その依頼は
『青春小説』を完全に殺害してください。
そのとき、探偵小説の手法をもちいてください。
というもの。
その依頼に至る評論も収録されているのですが、うまく纏められないので割愛します。
興味のある人はこの本を読んでみてください。
感想としては、何とも舞城さんらしいな、と言うことに尽きますね。
大人になるにつれて身に付く知識。知ってしまったことで表れる失望と諦念。でもどこかで希望を持ちたいという気持ち。
青春小説の殺害と希望の喪失は、イコールではないんだなあ、と感じました。
何か長くなってしまったので、もうひとつの「私たちは素晴らしい愛の愛の愛の愛の愛の愛の愛の中にいる」は省略して、愛媛川十三の評論についてちょっとだけ書いておきます。
「いーから皆密室本とかJDCとか書いてみろって」
今となってはごく一部の人しか知らないでしょうが、10年ほど前に講談社で「密室本」「JDCトリビュート」という企画がありました。
「密室本」は解決部分が袋綴じになっている本のことで、それなりに多くの本が出版されました。
しかし一方の、清涼院流水「JDCシリーズ」の設定を使って色んな作家が小説を書くはずの「JDCトリビュート」は、
「九十九十九」舞城王太郎
「ダブルプレイ勘繰郎」西尾維新
「トリプルプレイ助悪郎」西尾維新
という小説3作と、
「探偵儀式」大塚英志・箸井地図
というマンガ1作しか出ませんでした。
評論の骨子としては、清涼院流水とかJDCとかいう名前にビビってないでみんな書けよ、という内容で、さっき感想を省略した「私たちは素晴らしい愛の愛の愛の愛の愛の愛の愛の中にある」も、愛媛川の激に舞城が応える形で書かれた「JDCトリビュート」なのですが、確かに期待してたよりも刊行数が少なかったよなぁ、「JDCトリビュート」。
もっと色んな形の「JDCトリビュート」を読んでみたかったなー、と今更ながらに思ってみたり。
本全体の総評としては、若干難解かもしれないけれど、楽しく読めました、って感じですかね。
買って損はなかったです。