実話ミステリー(ハードボイルド風) | 町に出ず、書を読もう。

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物語がないと生きていけない。社会生活不適合者街道まっしぐら人間の自己満足読書日記です。

私は一人でラーメン屋に入った。



店員に誘導されるままに、カウンター席に着く。
一直線のテーブルと床に固定された丸椅子、というオーソドックススタイルのカウンター席だ。



メニューを開きもせずにオーダーを済ませる。いつもと同じ注文だ。
そろそろ「いつものやつを」と言うだけで通じるのではないだろうか、とも思うのだがなかなか勇気が出ない。
私を臆病者だと笑うのならば笑えばいい。



私が入店したすぐ後に、スーツ姿の青年が入店し、私の席からひとつ空けて右隣に座った。



ラーメンが来た。
箸を割り、胡椒をふりかけてから食す。
旨い。



ほぼ同じタイミングで、右隣の青年にもラーメンが届いた。



しかしそれは後になってから気付いたことであり、私は目の前のラーメンに集中していた。



しばらくして、私は違和感を覚える。
さっきまでと何かが違う。



違和感の正体にはすぐに気付くことができた。
だが私はそれを認めることができなかった。
あまりにも不可思議な結論だったからだ。



カウンター席は一直線のため、見るつもりはなくても目の端にラーメンを食している右隣の青年の姿が写るのだが、その距離がなにやらさっきより近くなっているような気がしたのだ。



しかし露骨にそちらを向くのも失礼だ。私は若干姿勢を右によじって密かに彼を観察することにした。



いくら何でも本当に距離が縮まっている訳がない。
気のせいなのか。いや、やはり距離が縮まったようにしか感じられない。



何だ?何かおかしなところはないか?



何もない。
普通にラーメンをすすっているだけだ。



少し前傾姿勢になりすぎている気もするが、ここのラーメンは旨いのだ。仕方あるまい。
あるいはかなりの空腹なのかもしれない。



そうなるともう不自然な箇所など見当たらない。
いやいや待て待て、彼自身が不自然だと決まった訳ではないではないか。もっと視野を広くせねば真実は見えてこない。



彼の服装?

前にも述べたが普通のスーツだ。仕掛けがあるようには見えない。



カウンターの上?

ラーメンとコップしか存在しない。
氷水の入ったコップは盛大な結露で周囲を水浸しにしている。おしぼりがあるのだから拭けばいいものを。



盲点となりやすい足元はどうか?

普通のビジネスバッグがひとつあるだけだ。何の問題もありはしない。ここも違う。



その時、ほんの数秒前に目にした光景が脳裏に浮かび上がった。



カウンターの上から足元へと視線を動かした時に一瞬視線に入った光景。
私の座っている席と彼の座っている席、その間の誰も使用していない席に「何か」があったのだ。



何故だ。何故こんなものがここにある。彼は食事をしていて今も旨そうに麺をすすっているのに。



そう自問するが答えは出ない。



そこにはただ無味乾燥な事実が存在しているだけだ。





私と彼の間の席に、彼の左手があるという事実が。



そう。
彼は隣の席に左手を置いた不自然な姿勢で食事をしていたのだ。



いや、置くというよりも、左手一本で上半身を支えていると言ったほうが正確かもしれない。



そのために、彼の体は左側、つまり私の方へ傾き、その頭部は推定10cmほど私に近づいていたのだ。



私の感じていた違和感は、現実に起こっていたことだった。
しかし、「謎はすべて解けた」とは言い難い。
なぜならば、彼が奇妙な体勢で食事をしていた理由、という大きな謎が残されているからだ。



隣で苦悩する私のことなど気にもとめず、食事を終えた彼は会計を済ませて出ていってしまった。



思わず私は苦笑する。
おそらく大した理由などはない。
きっと癖のようなものなのだろう、と。



いつまでもここに居るわけにもいかない。
私もそろそろ帰ることにしよう。



レジで支払いを済ませると、見覚えのある店員が「またお来しくださいませ」と笑顔で声をかけてきた。
私も笑顔で「ご馳走さま」と返す。
どうやら常連客だということは認識されているらしい。
「いつものやつ」と私が言える日もそう遠くないのかもしれない。



店を出て、秋の気配をわずかながら感じさせる夜道を歩きながら、名案を思い付いた。



次にあの店へ行く時には、今日スーツの青年が座っていた席に座り、隣の席に左手を置いて食事するのも悪くない。
もしかしたら、今日解決できなかった謎を解くことが出来るかもしれないのだから。



そこまで考えて、私はふと足を止める。
もしかしたら、スーツの青年もそれが目的だったのかもしれない。
以前に彼が私と同じ体験をしていて、今の私と同じことを考えたのだとしたら…




自然と笑みがこぼれていた。
あの店に行く楽しみがひとつ増えたことが単純に嬉しかったのだ。



もし、またあの奇妙な体勢で食事をする人を見かけたら、こう声をかけてみよう。




「あなたはオリジナルですか?それともコピーですか?」





まあ、臆病者の私は、きっとそんなことはできないのだろうけど。