案山子 | 町に出ず、書を読もう。

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物語がないと生きていけない。社会生活不適合者街道まっしぐら人間の自己満足読書日記です。

前に更新した「厭魅の如き憑くもの」の解説(千街晶之さんの執筆)で面白いことが書いてありました。



「厭魅の~」の中で象徴的な位置を占める山神「カカシ様」は、簑笠を着けた姿で祀られています。



谺呀治家の祈祷所には勿論簑笠姿のカカシ様が鎮座していますし、カカシ様が居るとされる山には一際大きいカカシ様が祀られています。



加えて、村の中にも至るところにカカシ様の姿があります。



それには、村人の信仰のためと言う側面もありますが、「カカシ様は、村のことは何でも知っている」という言い伝えを視覚化したものでもあります。



姿だけではなく、名前からも容易に想像できますが、カカシ様からはどうしても田圃の中に立つ案山子が連想されます。



そこから更に連想されもるのとしては、一定の年齢以上の方なら一度は歌ったり聞いたりしたことのある唱歌『山田の案山子』というのがあります。



『やーまだーのーなーかーの、いっぽんあしのーかーかーしー』というやつです。



実はこの山田の案山子はヤマダノソホドという神様なのだそうです。



そして、スクナヒコナ伝承に名が残るクエビコという神様は、「古事記」によるとヤマダノソホドと同一視されています。



そのクエビコがどんな神様なのかというと、天下のことならどんなことも知っている博識神、なのだそうです。



解説では、この共通点の多さから、「カカシ様」はこのヤマダノソホド及びクエビコをモチーフとしているのだろう、として、もっと細かい話になるのですが、それは割愛。



ここで、ひとつ思い出したことがあります。



伊坂幸太郎さんのデビュー作「オーデュボンの祈り」です。



この作品には、世界の事を何でも知っていて、言葉を話す「優午」という案山子が出てきます。



過去に起こったことも未来に起こることをも知っている優午の周りには、たくさんの人がやってくるのですが、優午は過去については答えても未来のことは一切教えてくれません。



この「優午」もおそらくですがヤマダノソホドやクエビコをモチーフにしているのだろうと思います。



三津田さんと伊坂さん。
ジャンルとしてはかなり離れた位置にある二人なので当たり前かも知れませんが、同じようなモチーフを使って(推測ですが)これだけ違う物語になったというのが、何かすごいなぁ、と思いました。





それと同時に、前からずっと思ってはいるのですが、日本人として「古事記」や「日本書紀」は読んどかないとな、と改めて思いました。



とはいえ、中々敷居が高くて実現できていません。



一応大学では日本史専攻だったのですが、古語は壊滅的に不得手なので、平易な現代仮名遣いでないと挫折するのは明白。



でもできればダイジェストではなくちゃんとしたのが読みたい。



そんな贅沢なことを思っているので、これはという本に巡り逢えません。



そんな本がどこかにないものでしょうか。



あ、追加で、安価なもの希望(←しつこい)