「わかったようなことを言うな」
「大きくなったらわかるよ」
偉そうに自分の意見を言うと決まってそう言われた。
「若いっていいねー」
と揶揄されたりもした。
歳を重ねた人の言うことは深みがあるだろうし、そりゃあ納得できることも多い。若者の考えは軽薄かもしれない。
けれど「その人の考え方」というものには、若年者も高年者もないと思う。
それぞれの今が人生の100%なんだから、5歳も13歳も24歳も40歳も83歳も、どれもその人にとっては生まれてから100%なんだから、年齢は関係ないと思う。
だから、わたしが生意気な高校生相手に「だまれや、ガキ」と言うのもおかしいのだ。受け入れるべきなのだ。
子どもの言葉も対等に聞ける。そんな人間になりたい。
そして、絵や日記などを日が経って見直すと、なんだか恥ずかしくなるのも、恥じずに、その時100%だった自分を尊重してあげよう。いまより劣ってたわけではないのだから。
<ベターとベスト>
理想と現実
って言うよね
理想と現実は違うんだ
って何かを否定するときの決まり文句だよね
わしはこの言葉を『逃げ』だと昔から思ってた
わしって、どちらかといえば
というか、どちらかと言わんでも
きれいごと並べて
夢語って
[理想]を追っかけるタイプで
よく、「考え方アマイ」とか「口ばっかし」とか言われるから
間違えても[現実主義]ではないだろう
と思っていた
最近までは…
最近、自分は[現実主義]だったのだと気が付いた
なぜ[現実主義]だといえるか
理由は簡単である
『できる』
と信じているからである
その理想を実現『できる』ことを1ミリも疑っていない、めでたい脳味噌があるからである
[できる]ことをやるのだから理想であって理想ではないのだ
理想とは
【人の考えることのできるもっともすばらしい状態。実現を目指す最高目標】
である
ヒトにとって、わしの言うことが[理想]だとしても
わしにとってその考えが[現実]に即したものであれば
理にかなった想いであれば[現実]となりうるのである
ヒトより[現実]の基準が高い
と考えればいいんだ
自分で勝手に[理想]の基準を低くして
跳べるハードルも
[理想]と決めつけて跳ぼうともしない
それは〈理想と現実を見極めている〉とは言えない
『理想と現実は違う』
そのとおり
オタマジャクシはカエルではなく、あくまでもオタマジャクシなのである
カエルになるかどうかは
オタマジャクシが決める
理想を現実にしようとしなければ
それはもともと[理想]ではなく、ただの空想である
気付いても言葉にするのって難しい
理解されにくいかもしれないが
自分の中の真理なのでヨシとしよう
2009.8.14の日記より
文章は稚拙だが、考え方は変わっていないよ。
ただ、あの頃の無根拠な自信は、今は薄くなってきているようで、気概が髪の毛と比例しているようで、相乗して寂しくなる。
