ホラーばかりで仕事無し。よぎーは今にだめになる。

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ホラー映画鑑賞記
とりあえず鑑賞済みの映画の記事だけ作成して、徐々に内容を編集して行く予定です。ホラー映画論考察が中心です。
ほぼ全ての記事で多くのネタバレを含んでいます。
レビューやあらすじなどはwikipediaを読んで下さい。

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仄暗い水の底から(2002年)

監督:中田秀夫
公開:2002年
制作国:日本

【概要】
Jホラー。典型的な怨霊もの。マンションの屋上の貯水タンクで溺死した少女の霊に追いかけ回させる日本的ホラー。「水」の怖さが効果的に描かれているが、少女の霊美津子の登場あたりから急激に物語は減速し、ジャパニーズホラーで最も(私が)苦手なぐだぐだした親子愛のような生温い空気感に包まれてしまう。

【論点】
◎日常に潜む恐怖問題
ジャパニーズホラーが評価されているひとつの理由として「日常に潜む恐怖」のようなものを利用して視聴者の恐怖を煽る手法がある。テレビ、携帯、布団や風呂場など、普段何気なく利用しているものが恐怖の世界とつながってしまうプロットはJホラーの十八番である。多くのJホラー小道具に共通するのは「孤独感」。テレビを観ているとき、携帯を弄っているとき、シャワーを浴びているとき...後ろに誰か立っていたら?などと妄想してしまったことは経験があるだろう。
この「仄暗い水の底から」では「水」と「エレベーター」が効果的に恐怖を煽っている。
特にエレベーターは映画「呪怨」でもかなり効果的に使われていたが、極端に密室空間でありどこにも逃げることができない。また、エレベーターの扉が閉じられた閉じられた瞬間、外の世界からは隔絶されてしまうため、映画のなかでは次に扉がひらくときそこが果たして目的の現実世界なのかどうかさえ怪しい。
日本の集合住宅ではエレベーターのドアに窓がついており、降りる前に外の様子が確認できることが多い。目的の階に到着するまでは同じような景色の繰り返しが流れていくだけだが、現実のものなのか永遠に繰り返される異世界に迷い混んでしまったのか。

◎美津子ダサすぎ問題
非常に良いホラーポイントがいくつもあるにも関わらず、美津子がエレベーター内で淑美を襲うあたりから物語は急激に減速する。なにしろ美津子の造形があまりにも安っぽく、失笑してしまうほどである。ラスト15分は特に恐ろしいシーンがあるわけでもなく、無駄な親子愛を語り出してしまいとてつもなく残念な展開になってしまっている。日本のホラー映画でどうしても気に食わないところは、下手に親子愛や友情・兄弟愛・仁義などで二次的にストーリーを展開させ泣かせ(感動?)ようとしてくるところである。

◎怨霊・怨念問題
これはJホラーを制作する上では避けられない問題である。そもそも怨霊・オバケの概念が欧米とは異なっているため生じてしまう。すなわち、日本において怨霊や怨念とは非業の死・恨み・悲しみを持った人の強い思い・魂のようなものが成仏できずにさまよい、災いを与えるものだと考えられてきた。そこでJホラーのラストシークエンスでは、これらの恨み・憎しみを抱いた魂の怨霊と「和解」して一件落着してしまおうという風潮が多い。
完全に主観・偏見だがホラー映画はハッピーエンドや感動・感傷で締めてはいけない。心がざわつくような終わり方であって欲しい。個人的な希望である。なかなか良い(と私が思える)ホラー映画はない。。





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遊星よりの物体X (1951年)

監督:クリスティアン・ナイビイ
公開:1951年
制作国:アメリカ


【概要】
エイリアン系SFホラー。遊星「より」の物体Xであり、B級SFホラー映画の傑作、ジョンカーペンターの遊星「から」の物体Xのオリジナル版。
アラスカに墜落した謎の円盤から怪物が復活し、次々と極地研究所の隊員を襲うという基本的なプロットはリメイク版に引き継がれているが、映画全編にわたって緊張感が全くない。

【論点】
◎リメイク版と名前が似過ぎ問題
友人のおすすめの映画だと言うので借りてきて観始めたものの、いつまで経ってもおもしろくならず、そのまま映画が終わってしまったのであっけにとられ、しばらくこの映画を勧めて来た友人不信になってしまった作品。実はおもしろいのはリメイク版の遊星からの物体Xであることに気づくまでにそれほど時間はかからなかったので友人関係は保たれた。
51年の作品にしてはおもしろいかもしれないが、演出・演技ともにかなりお粗末である。
氷の中に埋まった円盤を取り出そうとして爆破するが、円盤こと爆破してしまうマヌケさ。



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ディセント(2005年)

監督:ニールマーシャル
公開:2005年
制作国:イギリス

【概要】
B級ホラー映画好きにおすすめの作品。随所に名作ホラー映画へのオマージュがちりばめられているが、「ホラー映画」としてのおもしろさもしっかり残している。前半30分の雰囲気がどうしようもなくぬるいものの、暗闇を利用したブレアウィッチプロジェクト的POVを用いて、暗視カメラのなかにちらほら地底人(ゾンビ?)が映り込んでくる中盤は今後の好展開を予感させる。ところがにわかにモンスターバトル物の様変わりし、収集がつかなくなって終わる。監督ニールマーシャルの初期の作品にしてはホラー映画の抑えどころを確りおさえた「ホラー映画」である。

【論点】
◎B級ホラー好き一本釣り問題
この映画の半分くらいはB級ホラー映画好きがニヤニヤするために作られているように思う。それでも、わかる人にはわかる程度に抑えてあり、地底人ゾンビというかなり変則的な主題であるにも関わらずきっちりホラーのセオリーに沿って作られた安心して観れるホラーであった。当然山奥のキャビンは「死霊のはらわた」に代表されるホラー定番スポット、山奥へとむかう車の俯瞰ショットは「シャイニング」冒頭を彷彿とさせる。地底人の造形や行動パターン、素早さは最近の「アイ・アム・ア・レジェンド」を思い出すが、「サンゲリア」以来の泳ぐ水中ゾンビには興奮を禁じ得なかった。ゾンビ目つぶしでまたもや「死霊のはらわた」への丁寧なオマージュ。光が差し込む出口へ骸骨の階段を駆け上がるラストはどことなく「CUBE」的。
等々書いてしまっている時点で監督の思うつぼである。




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アイ・アム・レジェンド(2007年)

監督:フランシス・ローレンス
公開:2007年
制作国:アメリカ


【概要】
ウイルスパンデミック系。ゾンビ映画かどうかは微妙なところだが、基本的なシチュエーションはゾンビ物。主人公は愛犬サムとニューヨークに二人暮らし。

【論点】
◎愛犬サムの拘束条件問題
冒頭から主人公の「逃げ場がない」感が良く演出されている。とくに、愛犬サムは大切なパートナーであるため、サムを守るためならなんでもするという主人公に課せられた拘束条件がより主人公の行動を制限していくため緊迫感が増している。
また、冒頭でのサムとの「異常な日常」のなかの何気ないやりとりがサムと主人公の信頼関係を印象づけ、その後の展開へつながる重要なブリッジになっている。この伏線があるからこそ、どんなに主人公に厳しい条件であってもサムを守るためならゾンビのたむろする暗闇のなかへ突入することが正当化され、違和感なく緊迫した状態へストーリーが進行する。

◎レジェンドじゃない問題
愛犬サムを失った主人公がやけになってニューヨークをひき逃げドライブするあたりから急激に映画は失速してしまう。主人公はサムと2人、もしくは最後まで1人でいるべきだったのではないだろうか(cf. 荒木飛呂彦「奇妙なホラー映画論 」)。
劇場公開版のラストシーンでは、この映画の一番肝心な主題であるはずの、
「自分以外がゾンビになってしまってゾンビと戦っているつもりだったのに、実はゾンビ側から見ると、主人公こそがゾンビの仲間を次々と殺す怪物のような存在であった」というような要素が異常なほど薄まっており、「人類にとってのレジェンド」的なラストになっている。しかしこれでは生物学者の主人公が人類のレジェンドになりうることなど冒頭からわかりきったことであり、ゾンビ(新人類?)達にとってのレジェンドだったというオチの方がインパクトが強い気がするが、なぜこのラストを選んだのかは理解できない。




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レリック(1997年)

監督:ピーター・ハイアムズ
公開:1997年
制作国:アメリカ




【概要】
ウイルス感染系だが、最終的にはクリーチャー・モンスター対決のSFチックなストーリー。冒頭で無人の船が発見されるが、船内には誰1人いない(実際はなぜか船底に死体が隠されている)というプロットは、伝説的ゾンビ映画、「サンゲリア(1979年)」を彷彿とさせるが、期待とは裏腹にウイルスのパンデミックは起こらず、バイオSFのモンスター系映画へと展開する。

【議論】
◎密室感がなさ過ぎ問題
ウイルスのパンデミックが起こらないので終始緊迫感が希薄で、ドキドキ感がない。「デモンズ(1985年)」のように、なんらかの力で博物館(デモンズでは映画館)に閉じ込められてしまうならまだしも、防火扉が閉まるだけで最終的には外側から焼き切ることが出来る程度。博物館の外側の人間も異常事態に気づいていながら救出の手際が悪すぎてイライラする。

やはりホラー映画において恐怖をあおるためには「密室的」状況が必要であると感じる。的、としたのは、物理的に部屋等に閉じ込められているわけではなくても、森のなか(cf. クライモリ, 2003)や、人里離れた民家(cf. 悪魔のいけにえ)でも密室的状況が成立するためである。

◎モンスターホイットニーのキャラがブレ過ぎ問題
頭が良いのか悪いのか、モンスターの行動に一貫性がないため引っかかりができてしまい、ラストシークエンスの緊張感が一気に薄れてしまう。なぜマーゴを執拗に追いかけるのかという伏線が全くない(はず)。冒頭でマーゴはホイットニーのことをあまり知らないと行っているし、ホイットニーのマーゴに対する偏愛のような描写も一切なかった。
どうあがいてもマーゴがモンスターからの襲撃を逃れられないような伏線をつくる暇が前半部分に数多くあったのに、何もしなかった監督の怠慢では




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死霊のはらわた(2013年版)

監督:フェデアルバレス
公開:2013年
制作国:アメリカ
予告編


【概要】
サムライミの「死霊のはらわた, 1981」のリメイク(リブート)であるが基本的な設定のみを引き継いだだけであり、設定を一から作り直した作品である。
いわゆる「田舎に行ったら襲われた系」(cf. 荒木飛呂彦, 2011)である。山奥の不気味な小屋を訪れた男女5人が禁断の「死者の書」を発見し、死霊を蘇らせてしまう。

【考察】

・死霊の目玉白目じゃない問題
そもそもこの作品は「死霊のはらわた」のタイトルを冠しており、脚本・制作サムライミとブルースキャンベルが関わっている正当なリメイク作品である。そのためどうしても原作の死霊のはらわたファンからの「リメイク」としての観点からの批判は免れない。
まずは「死霊の目玉白目じゃない問題」である。
1981版では死者の書に取り付かれた人々はもれなく白目で愛嬌のある死霊に変貌し、観るものを楽しませた。
ところが、今回のリメイク版では予告編を見てもわかるように、遊び一切なし。ガチガチのホラー映画なのである。恐怖映画としては非常に優秀であり、次から次へと目を背けたくなるような描写が続く。ところが、死霊のはらわたのタイトルを冠しているのであればおさえて欲しかった点がいくつかある。例えば、
  1,死霊に取り付かれたら白目を剥く
  2,鹿の剥製が笑う
  3,なんだかよくわからない白い液体が吹き出す
  4,森にレイプされる
  5,死霊に取り憑かれた右手と30分以上戦う
                       等々...
やはり死霊に取り憑かれてしまったら白目を剥いて欲しかったですが、白目になったとたんに急激に馬鹿馬鹿しさが増してしまうので難しいところ。
それと、死霊のはらわた2における、圧巻のアッシュ1人芝居劇場もリメイクして欲しかった。リメイク版では簡単に切り落としてしまうが、本来ならばもっと戦うべきである。

・そもそも怖すぎる問題
そもそも怖すぎる。サムライミはもう一度自分が作った死霊のはらわた1~3を見直して欲しい。行き過ぎた恐怖が笑いと紙一重であることを教えてくれたのはサムライミではなかっただろうか。
思うに「恐怖」と「笑い」というのはどちらも「緊張」と「緩和」の繰り返しであり、ホラー映画のなかでは映画全体の「緊張」感のなかにふと「緩和」が挿入されることでさらに次の恐怖が増幅され、漫才やコントなどの笑いでは、笑いの「緩和」のなかにふと「緊張」のようなものが挿入されることによって次の笑いが増幅されるのではないかと思う。


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