夏頃からずっと書きたかった記事を、年末までとっておいてしまいました(^^;

年が明ける前に、宿題を提出したいと思います(笑)。

 

今年は北陸に行き、立山、伊波、金沢、能登、白山市と巡る機会がありました。

 

 

 

その時に読んでいた本です。

立山と白山比咩神社に行くのと、円空が好きで仏像彫刻を趣味でやっているので興味があったのです。


スピリチャルで瀬織津姫神に関しては色々言われていますが、この本を読んだ理解と自分の蓄積してきた知識で書いてみたいと思います。

 

この本を読んでいて一貫して感じたのは、勝利者が敵の存在を史実から消して存在を葬りさってきたことです。

円空は修験道の秘儀を習得した修験僧であり、全国を旅しながら仏像を彫り歩いた仏師でもあります。

なぜ全国を巡って仏像を彫ったのか?

それは、平安時代に天台宗徒によって意図的に消されてしまった日本古来の神々の鎮魂のためだったようです。

蝦夷では瀬織津姫神信仰がされていて各地で祀られていましたが、蝦夷征伐とともに瀬織津姫神信仰も消されてしまいました。

十一面観音と瀬織津姫神との関係がよくわからないのですが、瀬織津姫神の鎮魂のために十一面観音を彫り歩いたようです。

 

イザナミ、イザナギ以降の神様は必ず陰陽二神で対になりますが、瀬織津姫は天照国彦天明櫛玉饒速日尊(アマテル)は夫婦、女神と男神で対になります。

天照大神を男神として霊視する方が多いのも頷けます。
饒速日 = 天照大神 = 太陽神 = 火神 =和霊。

瀬織津姫 = 水神 = 荒御魂。

天照大神と言うと、現在では和魂の側面が強調されていて、荒魂を持っていることを意図的に隠されている。
荒魂を抜いて信仰させた方が、権力者側は庶民を支配しやすいからです。
本来の伊勢の神である両神は、瀬織津姫神は八十禍津日神として内宮の荒祭宮に、饒速日は伊吹戸主神として外宮の多賀宮に移動されてしまいました。
さらに明治時代になって「明治天皇の勅命」で瀬織津姫神祭が消去されてしまいました。
大和朝廷以前からの水神=瀬織津姫は隠された神になってしまいましたが、伊勢の秘神であります。
円空の時代には伊勢の伊雑宮は瀬織津姫神を祀っているという説があったそうです。
本来の伊勢大神の祭祀は円空の時代に既に消されてしまっていて、円空もその復活を期待していたようです。
 
円空は伊吹山(薬草で有名)で十一面観音を彫っていますが、伊吹山といえばヤマトタケルが荒神の征伐に行って返り討ちにあって伊勢で死に至った伝説がある山です。
伊吹山は大祓祝詞にも出てくる伊吹戸主神の山です。

饒速日が祀られていると言うことは対の瀬織津姫神もいると思えば、円空がこの地で十一面観音を彫ったのも納得できます。

 
時の権力(天皇と藤原氏)が瀬織津姫と饒速日を消そうとした痕跡は至る所に見られます。
春日大社は藤原氏系列の神社ですが、本来祀られていた瀬織津姫神は姫大神という抽象的な名前に変更され、大祓神として降格祭祀されています。
そこまで執拗に両神を消そうとした背景は、饒速日が物部氏の遠祖だからのようです。
物部氏が外来神(仏教)のせいで国に災いが絶えないとして、棄仏して対立したのも一因でしょう。
権力闘争に敗れた物部氏の遠祖、饒速日と瀬織津姫はこうして大祓祝詞の中に封印されてしまいました。
 
余談ですが、前回ブログに書かせてもらって十種神宝は元々は饒速日が天孫降臨するときに天津神から頂いたもののようですね。
つまり饒速日は天津神の系列。
時の権力者は十種神宝さえも奪って自分のものにした、と言うことですね。。。
 
ここまでは本来の天照大神である饒速日と瀬織津姫がどうやって封印されたかを書きました。
実はこの本を読んだのは、私の中では白山=菊理姫で、白山と瀬織津姫が結びつかなかったからです。
人々の侵入を許さなかった白山に、夢に出てきた女神に導かれて開山した泰澄大師。
白山比咩が十一面観音として姿を現したとして神仏を融合。
なので「白山比咩 = 菊理比咩 = 十一面観音」は理解できます。
円空は「瀬織津姫 = 十一面観音」と感得していた。
ということは、「菊理姫 = 十一面観音 = 瀬織津姫」が成り立つ???
ちなみに白山比咩神社の入り口の説明には「白山比咩大神(菊理媛神) 伊奘諾神 伊奘冉神」となってます。
名付けられた神々は創造神が次元を変えて現した姿なので、神々は元は一つなので分類に意味がないのは分かってはいるのですが。
ここは来年以降も調査します。
 
著者の菊池展明氏の取材力は素晴らしく、古文書、文献の引用が多数で、実際その地に足も運ばれており、本書は大変読み応えがあります。
最近は200ページくらいあっても要約すると数ページに収まってしまうような中身の薄い本が多いですが、1ページ毎の情報量が素晴らしく多くの知識を得られました。
本書の帯紙には「弥勒菩薩の『母』なる神と謳われた白山の女神」と書かれてました。
これから弥勒の世が訪れるとスピリチャルでは言われていますが、弥勒の世と言うことは皆が弥勒菩薩になることとも言われています。
その母たる存在、瀬織津姫 = 十一面観音。
まさに転換期の今の時期にふさわしい一冊でした。
年の瀬にギリギリで宿題を提出できましたが、まだまだ調べたいことも多いし、未消化の点も多くて書き切ることができず、引き続き探求していきたいです。
 
最後はあとがきから菊池氏の言葉を引用します。
「かつての蝦夷地(北海道)の祭祀にみられたように、瀬織津姫という神は女性・庶民の味方の神といってよく、この神の祭祀を消去しようとしてきた王権思想は相対化される必要があるようにおもう。」
 
 
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