時報「創刊号」・昭和二十六年五月二十三日号 掲載)国会図書館で閲覧可能!

 世界の危機

今や全世界に亙て一大転換期に直面した。而も此の一歩の踏出しに依て忽ち全人類は想像を絶した大混乱に陥入り、限りなき多くの人命が一瞬にして地上より消え、文化を誇る大都会も見る見るうちに墓場となるやも計り難き前夜に迫った。

此の人類最大の危機に際し、之を救うものは眞の宗教以外にはない。而し既成宗教は自己の存立さえも危ぶまれる程で、此の危局に対して全くの無力化して了た。之等の既成宗教も過去数千年間に亙り人生航路の闇路を照す燈台の如く輝いた。其れによって殆どの者が救済善導されて漸く彼岸に達せんとして居るのである。云換えれば、人間と云う種子が大地深く蒔かれたのが漸く準備なり、闇黒の世界(地下)より自由と光明の世界に芽生えんとしての黎明期にして、既に霊光は地平線上に出現し、野も山も海も全面が一大光明に照し出されつつある。

其の爲め永い間たよりにして来た燈台も明星も過去の夢の如く光を失うて遺物化せんとしてをる、此の大霊光に目覚め「心眼」を開くなら夜から昼に移る時の機に周囲の物一物も置き替る必要なく、其のままで短時間の間に一切のものが一変するのである。
 
彼のガリレオが天動説の時代に生れて突然地動説をとなえたが、何人も信じ難き事実の大発見であった、併し之に依って人類生存上には大した影響は受けなかったが、今度は思想や経済にも亦医学から哲学に至るまで人間生活の全面に亙て大変動が起り、其の後に、今日の世界的対立闘争が解消し、此の最悪が一変して仏教で謂う極樂、キリスト教の天国となり全人類が共存共栄の理想郷となるのである。


精神文化の發達

 今日の世界的危機は物質科学文化に精神文化が伴わぬ爲め、偏側な文化の発達より起っているのである。而し、時は已に物質科学時代より精神科学時代へ転換せんとする時が来た。如何なる物も一年に四季がある様に、一方的に何時までも進むものではない。

文化は最初に東洋の精神文化が発達し、続いて西洋の物質文化の発達となったが、急速に物質文化が発達したので精神文化が取り残されて了ったのである。而し精神文化は決して物質文化に劣らぬ。却て精神文化が主体となった時、物質文化が有意義に働くのである。如何に物質文化が発達しても精神文化が之に伴わぬ時は、狂人が正宗の銘刀を持った様なもので、自分の造った文化で自分が破壊される事になる。
其の精神文化は窮極に行けば自然宗教となるのである。而し過去の宗教は前記の様に時代遅れで夏の綿入の様に今日の宗教ではない。眞の宗教は教義や儀式ばかりでなく、其の時代の人を最も正しき道に善導し而もそれが三世に亙って行われるものである。

此の精神文化は殆ど亜細亜人の手に依って行われてきた。其れは地球の南北に陽極と陰極の異なった磁氣がある様に、又欧洲と亜細亜にも正反対の性質を持て居る。其処に生存して居る人類にも永い間に其の影響を受けて、西洋は白人、東洋は有色人と変る如く、其の性質も西洋は外部の物質(有形)に向って分析に次ぐ分析と末端へ進んで行くのに反し、東洋は内部の精神(無形)の奥へ奥へと一元(神)に向って進み、窮極に至ってそれが宗教となって現われるのである。此の相反した性格は一家で云えば男女夫婦の様なもので眞の理想文化は両文化が平均して発達した時である、其の時が過去の宗教が云う極樂であり又天国ともなるのである。亜細亜人が自己の天分である特徴を忘れて、他の模倣のみに全力を尽して居る事は、鳥が自分の毛を抜いてクジャクの羽根を差して得意になって居る様なもので一朝大空に飛立とうとすると忽ち抜け落ちて、元よりも見られぬ丸裸となる。どこまでも竹は竹でよし松は松で結構。只だ他を取り入れるには自己の天分を延す爲の肥料程度に吸収すべきである。自己の本質まで忘れて模倣せんとする事は大きな過りで之程危険な事はない。
大塚寛一先生〘禁転載〙