伯家神道は宮中で天皇に何をお伝えしていたのか?それは皇太子が天皇となられるための修行にほかならない。
先代の天皇が崩御した後、皇太子が新たな天皇になられるために大嘗祭(だいじょうさい)の儀式を行うことはよく知られているが、以前にはそのほかに「祝(はふり)の神事」と呼ばれる伯家神道の行法も実施されていた。それによって皇太子は「国の体」となられるため、これは国体修行とも呼ばれる。
「国体」という言葉は戦前には天皇中心の国家体制を意味していたが、本来は天皇が日本という国と一体であることを体感することであり、その国体修行を通して自身の背中に国土や民を背負っている実感を持たれることで、皇太子は天皇としての境地に達せられる。
また、これは同時に皇祖神(こうそしん)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)並びに、天津神、国津神を迎える行でもあった。天皇は単なる王ではなく、神と民とをつなぐ存在であることを考えるなら、このような行が行われるのは当然のことだといえよう。
その伯家神道の行法はある意味では「いいとこどり」である。
白川伯王家初代の延信王(のぶさねおう)の時代までに確立していた出雲(いずも)系の神道や物部(もののべ)系の神道などから行のシステムを導入し、また、江戸時代には交流を持っていた垂加神道の行である鳴弦(めいげん)などの手法も取り入れた。そういう意味では純粋にオリジナルの行法というわけではないのだが、逆にいえば、縄文以来の日本神道の精髄を集めて、宮中という隔離された場において純粋培養してきた存在であるともいえよう。
「たとえば、伯家神道には隅切(すみき)り八角形の机を用いた行法があります。これは出雲神道に由来する行でしたが、白川伯王家が天皇の行として取り入れたものです」
ここで思い出してほしいのが第1章冒頭の話だ。
すなわち、ユーラシア大陸の東端に位置する日本が、世界各地で生まれた太古からの文化遺伝子を現代にまで蓄積・継承・保存しており、それは1万年を超えて埋蔵されてきた豊穣な知的・霊的資源である……という話である。
日本語の五十音は、その「資源」を現代にまで保存したものといえるが、伯家神道もまた別のやり方でそれを現代にまで継承してきている。宮中という特異な場であったからこそ、純粋な形でそれを保存できたのだ。
「アフリカなどに1万年以上前の岩絵(いわえ)が残されていますが、これなどは伯家神道の行の過程とかなりの部分で一致しています。現代人にとって何が描かれているか分からないようなものでも、伯家神道の視点で見ると何が書かれているのか分かるわけです。また、エジプトの霊魂観なども伯家神道の考え方に酷似しています。
さらに、十種神宝御法における三種の拍手は満州のシャーマンが行っているものとよく似ており、四種の拍手は中国古典の易経のもととなった河図(かと)九数図の順序で拍手をします。七種の拍手に関しては日本舞踊にも同様の所作があります」
七沢氏によると、1万年以上のルーツを持つ霊性の文化遺伝子をうまく統合したものが伯家神道の作法であるという。しかも単にミックスしたのではなく、どのような所作(しょさ)がどのような意識体験をもたらすのかを徹底的に実験した上で構築しているため、それを行ずるも



のは誰もが豊穣(ほうじょう)な知的・霊的資源にアクセスし、それを体感的な叡智として自身のうちに取り込むことが可能になるというのです!