昨日は、息子の塾の先生へ御礼参りに😆
なるべく短く説明しよう
息子はカナダ人とのハーフですが、結局私は未婚のまま息子の父と別れ、その後は向こうに奥様と息子ちゃんがいるのもあり、ある時から全くコンタクトは取ってないのですが、息子にとってはお父さんやから、連絡が取りたくなることがあるかもしれない。だから英語必須やと思ったのが息子の英語の始まり。
小さい頃は遊ぶみたいな英語教室行って、しかしその教室が手広くなってきてあまり魅力がなくなったので違う教室へ。そこは児童英検とかに積極的な熱心だけど遊び要素がまだ幼い息子には足りず、面白くない、と。やばい!で、次は英語で体操教えてくれる面白いアメリカ人の先生のところへ。それは楽しんでいたが、1年生の子とかも一緒なもんやから、息子は5年生でキッズ達の中で身体が大きくて浮きまくって🤣それでスイミング行く、といったん英語はお休みとなった。
これ英語教育の一番もったいないパターンで、それほぼゼロになってしまいますね。普通にそこから中学生の学校英語なんかやった日には、英語おもんない、とやらなくやる可能性大。
そんな時に教えてもらった先生は、奇跡的に地元の駅前で教室を持たれていた。帰国子女で、ご本人が小学生、中学生の頃海外で普通の向こうの学校に通われ帰国されたために、英語はネイティヴ並みなのに日本の英語のテストがびっくりするくらい解けない。その苦労をされた先生と聞き、息子6年生の冬に先生に会いに行った。
特進英語クラスと普通のクラスがあり、特進の内容の濃さ、厳しさ加減に即ビビったのは私で、息子は特進がいい、と。特進はあの先生なんでしょ、やってみる、と。
え?マジですか?やめた方がいいよ、見たでしょ!これめちゃ大変そうやで💦ううん、やるわ。
息子はこういうところがある。すごく怠け者やし、恥ずかしがりやし、決断も先延ばしにしがちなのに、時々びっくりさせられる。
で、入ったら、クラスメイトは池田付属とか私学の子がわざわざ遠くから車で親に送迎されてきていて、余計ビビる私💦息子は通い出して、まあ大変やけど大丈夫、と。
1年生の終わりにテストがあり、生徒15名くらいやったかな?そのテストとか普段の感じでついてこれてなかったら普通のクラスに移ってもらいますし😊と先生も最初に仰ってたので、ドキドキしながら懇談へ行ったら、息子ちゃんは4位の成績です。すごいですよ!彼より上の子は私学の息子よりずっと前からやってる子ですから、お母さん彼すごく良いですよ!頑張ってますよ。と言ってくださり、
あんぐり…
そこからはですね、英語だけはやりなさいを言わずに今日まできました。だから
先生がいなかったら、息子は英語が嫌になったままかもしれなかったし、大学も無理だったかも、そして先生がお部屋を貸してくださり、私は教室を借りてヨガ教室が出来ている。
そこからはしょっちゅう書いてる英語多読につながったのもこのご縁からで。
もう感謝しかない。
ってことで、忙しい先生に3分だけ直接お礼言わせてくださいって塾に行ったら、楽しすぎて30分も私と先生で喋り倒してしまうという…
私、なんやねん🤣息子はそれをずっと横で聞いてて、たまに急に話振られて🤣楽しかった🤣
先生は、なぜこの人はこんな大阪の田舎におられるのかというような方で、ずっと年下なのだが、中村天風さんとか、カリアッパ先生とか、ナポレオンヒル、カーネギーなんかの話でも盛り上がれてしまうというめちゃ楽しいありがたい方。
でもさ、そういうもんやねん。すごい著名な大きなホールで講演会する先生よりも、すごいんちゃう?ていう哲学持って生きてる人って、実はそこら辺にいてくれる。
先生にヨガ始めたきっかけって何やったんですか?言われて、心が弱かったから、と即答した。その時に、そうやったんか‼️と気づいた。それが理由やったんか、と人と話してて分かることってあるよね。
ええ、
ヨガやり出して、分からないことはめっちゃ探した。身体の使い方とかはもちろんだけど、身体の使い方だけでは心は弱いまま…周りの人のことが気になる自分軸の弱さ、こんなんでは息子を路頭に迷わせてしまう、とすぐ不安になる弱さ。そこはどう埋めるんや⁉️もう本当に探求した中で一番やったのはそう本を読んだ。
引き寄せの法則とか、ザ・シークレット、ヨガの哲学の本であるとか、松下幸之助さん、さっき書いたカーネギー、ナポレオンヒル、斉藤ひとりさん、本田健さん、、とか書ききれないもうほんま片っ端から。
そうしたら、全部同じなんよね、当然表現は少しずつちゃうねんけど、最後は人間力やで、人は一人で生きてへんで、ほんまの幸せって、、という話。
そこにずっとヨガのマットの上での練習があり、実は逆先生である生徒さんとの交流を通して、そして息子と家族と生きる生活を通して、なんかどんどん繋がってきてんね。
心は今もそんなに強くない。私はストレスに弱い‼️けど、なんか大丈夫やねん、て思えるのは、前は弱々の私がどうしていけば良いと絶望に近い想いにすぐ落ちてたけど、今はじゃあ素直に困ってます。助けてくれ!って言えばいい、と思っている。
もちろん逆もある。人に助けられるということは、私も誰かを助けることもある。それでいいのだ。
スーパーヒーローになることもあるかもしれないし、スーパーヒーローに救われることは多々あるし、人は一人一人誰もがすごくもなれるし、ダメにもなれる。ならば、少しでもスーパーヒーローの日もあれば良いよね。手を差し伸べて引っ張ってもらっていい、人の足は引っ張らない方が良いよね。
私はほんまに、昨日の先生との会話みたいに、男とか女とか若いとか歳いってるとか、どこの国の人とか、そんなカテゴリーやなくて、人間のええ人と交流してる時が幸せやなぁ。昔から求めてるんはそれやな、と思った。
だから、今は心は弱くても大丈夫で楽しいと言える。息子はそんな母やあの先生の影響を絶対受けてて、何を想ってんのかな。
人生は歳取ればもっとおもろいんやろな、と思ってくれてたらいいな。