お金があったら、これしてあれして、とか、
時間できたら、こうしてああして、とか、
思ってるだけじゃなくて、お金も時間もなくても
今やっときよー、できんくなるから、と先輩方が仰ってるのを聞いて、何言うとんねん、年のせいにすんなよ!と思ってたけど、年取るとほんまにどういう意味やったかが分かるというもの。。
年取って変えにくくなる、というのはもちろんあるんやけど、それ以外に守らなければいけないもの、抱えながら生きてるものの増えること、増えること。
しかし、そこで、そう思えば終わり。そこに巻かれていく。まあ、終わりではないけど後退やな。
なので、最近は、
それでも、
今出来ることをしよう。願いは叶えようとしなければ、叶わない。自力なり、他力なり何でもいいんやけど、なるべく叶えてあげよう。この他力とは、他力という言い方自体がおかしいかもしれないけど、こっちが良いの?そんなこと甘えて!とびっくりするようなことをしてくれて、それをすることを喜びと感じてくれる場合ってあるの、それを指してます。逆やと分かりやすい。子どもは私に対して頑張ってくれること何もしないけど、いてくれるだけでこっちを幸せにするから、その助けになることをするのって喜びやん。そういうこと。
あれこれ愚痴はためたらしんどいから出していいけど、その状況が嫌なら自分で変えていく気持ちがまず自分にない話は私は基本したくない。たまには行き場なくて愚痴っても、それをずっとにはしない。
そんな気持ちでいるので、自然と、何でも人のせいにする、変えられない不幸にとらわれるだけよ人とはもう合わなくなる、じゃなくて、会えなくなると思う。交わるエネルギーがなくなるから。
この今の、コロナのせいでものすごく状況がスケスケに見えるようになった時代に、昔のやり方にしがみついたり、それしか方法がないと固執したりしか出来ないのは、その気持ちはめっちゃ分かることもあるけど、しゃーない時代は変わる。
日本が昔、弥生だったり、平安やったり、江戸やったり、近いところで、明治、大正、昭和と平成だけでも全然ちゃうかったのに令和やん。
なので、愚痴はほどほどに。
周りに自分を合わせるんじゃなくて、自分のスタンダードがどこでならうまくハマるんやろう、とそちらにフォーカスして私はやってます。で、探せばある場合が多いな、なんでもっと早よやれへんかったんやろ、と思うことは多い。
その方が最初は難しく見えるけど、軸があるのでハマればうまくいく気がする。周りに妥協して近いところに合わせてたら、根本が違うから、時が経てば嫌になる。
それをうまくやってる人を見ると、めちゃ励まされるし、嬉しくなるね。部分的にでもね。別に全部やなくていいやん。
で、それをやってるのがやっぱり同世代の友だちとかやと、ほんまだからあんたら好きやねん、て思う。