昨日インスタにこの詩を思い出してアップしたのですが、これを誰に教えてもらったか思い出しました。

山岡有美先生。

それは18か19歳の時のこと。忘れていても無理もないww

エアロビクスの全盛期に憧れて、憧れて、原宿のNAFAというエアロビクススタジオでバイトしていた。

山岡先生はそこのトップであり、日本エアロビック協会の理事とかされてたと思う。

有名なインストラクターが山岡先生のレッスンを受けに来られた。山岡先生のレギュラーレッスンはなく、時々イベントのみ。お忙しかったんでしょうね。

でも、時々ミーティングとかある時には来られて、私たちとも色々お話してくださいました。

受付のリーダーの方が非常に厳しい方で、今私がお客様対応とかちゃんと出来てるとしたらその方のおかげです。めちゃくちゃ怒られました。

ある時、山岡先生がおられるところでも私は怒られていました。だってほんま何も知らない子どもだったから。

その時に山岡先生はそのあと私と二人の時間があり、声をかけてくださいました。

怒られても教えてもらえるって素晴らしいことよ。私の時代は、稽古場に行っても怒られないけれども、逆に何も教えてもらえない。聞いても見て学びなさい、と言われるだけなの。takamiちゃんもMさんが普段どんな風に仕事してるか見てるといいわよ。それが勉強になるの。

この言葉、引っかかってた引き出しから見事に出てきました。

その一年が今の私のインストラクターの在り方に大きく繋がっていると思う。その後もね、大阪帰ってからも怒られ続けましたけどね。幸せな時代ですよ、今思えば。

で、そのほほえみの詩は山岡先生がある時、これ素敵だからあげるわ、ってくださったのです。それを思い出したの。

山岡先生は大阪から来て怒られながらもこの子インストラクターとしてやっていくことに対して本気なんやな、って思っててくださったのかも、と今は思います。

さて、そのほほえみ、もう一度ここにあげておきます。

ほほえみ

ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが
相手にとっては非常な価値をもつものだ

ほほえまれたものを、豊かにしながらも、ほほえんだ人は何も失わない

フラッシュのように、瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる

どんなにお金があっても、ほほえみなしには貧しく
いかに貧しくても、ほほえみの功徳によって富んでいる

家庭には平安を生み出し、社会では善意を増し
二人の友のあいだでは、友情の合言葉となる

疲れたものには休息に、失望するものには光になり

悲しむものには太陽、さまざまな心配に対しては、自然の解毒剤の役割を果す

しかも買うことの出来ないもの、頼んで得られないもの

借りられもしない代わりに、盗まれないもの

何故なら自然に現れ、与えられるまでは、存在せず、値うちもないからだ

もしあなたが、誰かに期待したほほえみを
得られなかったら、不愉快になるかわりに
あなたの方からほほえみかけてごらんなさい

実際、ほほえみを忘れた人ほど
それを必要としているものはないのだから



昨日、一昨日スポーツクラブの仕事に行きましたが、本当に閑古鳥が鳴いてる状況。

そんな状況でスタッフの方々はレッスンしに来た私たちに頭を下げ、暇があれば消毒、そして理不尽に怒る会員さんに頭を下げ、鳴り止まない休会希望の電話対応。

なんか、変な言い方かもしれませんが、感動しました。

皆、それぞれ自分の信じた分野で頑張っている。

もちろん広がる危険性があり、国や自治体からの要請があれば閉めるでしょう。現にお客様のほとんどは来られないし潰れる方が早いかもしれない。

けど、私もできる限りのことをしようと思うようなスタッフのあり方を見ました。

悪いことをしようなんて誰も思ってない。自分だけが得しよう、いい人になろう。多分ほとんどの人がそんなこと思っていないはず。

こんな時こそ、思いやろうと思った。みんなそれぞれ立場が違うのだから。