この、今回のクリスティーナを大阪へ招致したい🧡とか、他にもやりたいことは英語力がいることでした。
しかし、それにしては英語があまりにも自信がなさすぎて、勉強し始めたのが夏か。
正直準備期間は1カ月とかそれぐらいで早速実践。やってみて、やはりきちんとした英語の勉強してないもんやから、あかんとこ、時間がやたらかかるところ沢山あって、勉強せな…とか思っても次々にやることがあって、結局ほぼ元々の英語力だけで沢山チャレンジしたこの夏の終わりから秋。
しかし、英語というのは、日本人にとってはある意味別人になれる、というか、、そこまで言っちゃって良いのか?て普通はなりそうなところを言わなくては先に進めないので言うことになる。
厚かましいんちゃうか?てことも、聞かないと向こうが汲んでくれるとかはまあ基本ない。
実はこれがすごく性に合っていることに今さら気づいた。
ああ、あの時言えば良かった、、とか、本当はもっとお願いしたいことあるなあ。とか、日本人の仕事とかの付き合いでは私はありがちだった。
それが、この数ヶ月で、日本語、英語に関わらず、何でも言いたいことは言うようになったわ。しょーもないことも、聞いてもらえたらラッキー!ぐらいの気持ちで。
先ほども、またつたない英語で私にとっては大事なことをリクエスト入れてみました。ダメ元やん。主張はしよう。しかしそこは日本人。失礼にならんよう、気を害されないよう丁寧には問う。それでええんちゃうかなぁ。ノンネイティブやし‼️
何が生き方のキッカケになるか分からないね。
そして、20年前、カナダが居心地良かったのはやはりこのような生き方のおかげだったのかもしれない。あの時はカナダだから、と思ったけど、若造甘いよね。
結局、場所ちゃうよ。自分の心持ちやん。どこにいてもね。特に日本みたいに宗教や身分でよその国よりケンカせんでいい国ではね。それは成立するはず。
平和ボケは良いように使わなあかん。