昨日は朝から奈良へ。

年に一度このシーズンだけ、人のレッスンを査定させてもらってます。

これがものすごく勉強になります。

まず、心から悪いレッスンをする人などいない、ということを改めて知ります。

みんな良かれと思って一所懸命やっている、それを見させてもらうので何というか、愛で胸が熱くなり、その後の自分の仕事が当然愛情いっぱいになるんです。

普段からもちろん愛情込めてやってますけど、なんかほんまに邪念なくなるというか、細かいこと考えずにレッスンに集中できて、ものすごく気持ちいい。

そうか、普段は色々考えすぎたり、心配したりで、100%集中出来てないのか…と昨日思いました。いや、たまに本当に100%でのぞめることもあって、やはりそういう時というのは心身ともにすごく清々しい。

昨日見させてもらった彼女は、思いっきり自分らしくやれていませんでした。彼女の良さをわざと抑えている気がして、終わってからゆっくり話すと、やはり迷いを持ってやってるという本人からの言葉。

反省しながら帰ることが多いと言っていたけど、原因はやはり話戻って、100%ピュアに集中出来てないこと、だと思う。自分らしいレッスンが出来ないと絶対それがストレスになる。

ヨガってそうなりやすいのは私も経験してきたから分かる。世間のステレオタイプなヨガへの期待。癒し、とか、リラックス、とか。

それを掘り下げるのが失礼承知で言うと浅いと、どうしても借り物的な声で、あるあるなインストラクションで雰囲気を作ろうとしてしまう。

癒し、とか、リラックスは受け手ご本人の内で起こることで、レッスンでそれぽく与えるのは全然違うんちゃう?まず与える、という発想自体違う気がします。

癒し風の音楽は良しとしても、癒し風の声で借り物の言葉で、というのは失礼にあたると私は思います。それなら◯◯先生のDVDいいですよ、でいい。

せっかくヨガに魅せられ、生徒さんよりも深く、長い時間関わってきた自分のたくさん感じたこと。伝えたいこと。それがDVDでは手に入らない宝になると思います。

でも、わかるよ。自分がいいなー、と思ったレッスンを真似すれば、最低限満足してもらえるだろう、と迷った時は思っても不思議はないもん。

しかし、そのレッスン。やってる自分が一度は良くてもずっとそれやってるとすり減っていくのではないかな。

と、迷走する人にも、そして時にやはり同じく迷走する自分もあかんけど愛しく思うのです。

だって頑張ってる。

しかし同じ頑張るなら、100%ピュアに自分と目の前の人に集中していこう。それが、自分に傾きすぎても、目の前の人に傾きすぎてもいけない。その絶妙かげん、なんだろうね。そこに日々注いでおります。

そんなこんなで、昨日は私がリフレッシュされました。ありがたき…

そしてそんな奈良が好きです。