40過ぎてもまあまあ元気で、私子どもの頃はとにかく運動オンチだったので、45歳今の方が昔より何でも出来るな、なんて思っていた。

ら、今年

二回も熱中症、つい最近では声帯が腫れて元気なのに仕事出来ないという…

もう私にしたら悪夢のような時間を過ごした。

46歳でやっと分かった。

昔から身体を動かす仕事やから、生徒さんが、

先生は身体が資本やからご自愛くださいね、と言ってくださるけど意味が分からなかった。ありがとうございます!と言いながら、いや、元気は有り余ってるのでね、この仕事してます、て思っていた。今なら分かる、ご自愛させていただきます!

今年ほんまにお姉さん達が言うガクンと来るときあるから、て、まさにそれだった。

以前なら引っかからないところに引っかかる。

てことで、年の後半はなるべく寝るようにした。

それでも引っかかって、考えた。

もう、手放そうと。

今までなら余計なことにも首を突っ込めたけど、もうそんなことをしていたら、本当にしたいことに費やすパワーを奪われる。それは困る。

でも、そうなってしまえて割り切れたことが多くて悪いことばかりではない。

嫌われようが、あれは違うよね、と言われようが、私がしたいことを絶対やりたい、が先で、人によく思われる仕事は断然後なので、もうそれは私がしなくていい。

逆に自分を本当に大事にすることを選ぶようになった。

私の正解は私にしか理解されなくていい。

理解全然されなくて、売れなかったら辞めればいい。

売れそうだから、あんまり気が向かないけど売っとこ、とか、これやっとくと周りから認められるからやった後どっと疲れるけどやっとこ、とかそういうの。もうやらない。

でさ、だから人が何しようがみんな好きにしはったらいい、と思う。

与える人がいて、受け取る人がいて、与える方も、受け取る方もどちらも選ぶ権利があり自由なのだから。

自分がこんなの人に与えるの?て思うことを与えてる人がいても、それを喜んで受け取る人がいるなら良いやんか。他の人の気持ちは分からない。

受け取った人が喜んでないことを私が心配しなくていい。その人はそれを断ることよりも、角を立てずにそこにいることを選んでいる。以前の私のように。面倒くさいことをやれる若さがあるのよ。いいわね。

私にはもうそれないわ。

おばさんになっていくこと、ということに対してこんな仕事やしハードル高いように思っていたけど、現実はなるようになっていく。自然に任せてやりたいことやっていけばいい。

そんな風に感じます年末です。