昨日は松原のきみちゃんが14時から自宅へプライベートレッスンに来てくれました。16時になって、時間ないやん!と身体をやっと動かし始める始末。

久しぶりではない。

先週木曜日に交換セッション、私がヨガ指導、きみちゃんが整顔エステ(←これヤバい!すごく気持ち良くてリフトアップ効果、お肌プルプル効果すごくて、最後のココナッツのクリームで爆睡しとったくせに気分は女優この話し始めると止まらないので、また別で書きます。)をしてくれたばかり。その日は13時にお邪魔して、出たのが17時くらい?

どんだけ喋りますねん!

やねんけど、私たち、非常に大事な気づきをここ最近シェアして盛り上がっておりました。

自分にとっての大好きや、やりたいこと、それは損得勘定よりも先に、何がやってて楽しくて、人にそれを提供することが至福になれること。

私たちは、昨日これ連呼でしたけど、日々が幸せであること、の設定レベルが高い。というか、これが40過ぎてものすごく多分高まっている。
 
そして40過ぎるとなかなかに背負うものもあったり、体力も落ちてくるので、以前抱えていたもので、手放す気などさらさらなかったものが、もはやそれ自分に合ってないやんか、というものに気づいて手放さなくてはいけないね、ということも一緒に見直しました。

働くペースとかとくにそうで、私たち「人に喜んでもらってる時にまず自分が至福」なので、ついつい若い時の要領で全部やります!って言って馬車馬化してたりね。

とまあ、それで今やりたいことがちゃんと邪魔されず出来るように調整しよう談義でした。

だって、40ともなると、そないに無駄にばかり時間を費やしていられない。ええ、何が無駄で何が大事かは全部自分基準。

今朝メリル・ストリープのインスタにはこんな言葉が。

人と違うことを恐れるな。人と同じであることを恐れろ。

同じで良い時もあるよ、極端に取らないで。

思い出す、小学校時代。

3、4年生あたりの先生、イマイチでした、て失礼ですが今はそう感じる。みんなが一緒であることを良しとされていました。この年頃にはズートピアずっと観てた方が良かったかもよ、てもっと失礼やけどそう思う。

でも、この辺りから私の個性はつくしのようにスクスクと伸び始め、ちょっと違うぞ…と思ってたら5年生。

5年と6年の担任は同じ先生で、ここでつくしは伸びきりました。担任がおかしかったんです。先生でこんな人あり⁉︎

先生が自由すぎて、私たちなんか守られてる子どもであり、もっと自由でいい。なんて風にも考えてないけど、個性全開の幸せな子ども時代でありました。

けど、だんだん大人になり、20代曇る…30代、ますます曇る…私はそうでした。

なので、晴れていたものは曇ることもある。しかも子ども時代はなんやかんや言っても完全守られている。犯罪してもその処罰が違うやん。

でも大人になったら、過去どうであれ、全て自己責任。もちろん人に助けられて生きているけど、晴れるか、晴れないかは自分次第。

そこを、過去をずっとひきずって、人のせいで晴れられません、て言っててもいいよ、それはその人の選択やから、でも私たちはそこは無駄すぎて付き合えない。

元々の自分がどうだったかより、これからの自分を見た方が楽しい。もう、過去をゼロにしてしまって、これから真っさらだとしたらどうする?何にでもなれる。

40にもなって、、よくやるよ、それは勘違いでしょうか?そこです、メリル・ストリープが言ってるのは。

勘違いでもいい、私にとってはそれをしない方が勘違い。自分であることを恐れるな。

まだまだ時間ある、と思います。