ここにきて、ようやく

冗談は顔だけにしな!

顔はやめな、ボディにしな!

とか昭和の三原順子的アネゴに怒られそうな自分を、使える何かにしようと冷静かつバクチ的に考えている。

わたしって、

を思った時にさ、特に策が見つからない時って、

ああ、あれも足りない、これも足りない、と、人と比べて才能がない、美貌がない、お金がない、時間がない、、とか

ない、に気を取られたり、

かと思えば、

身体は元気やし、助けてくれる人もいるし、とか恵まれてるのになんやねん!

と責めたりさ、

で、結局、何した?

何もしていない

もう、そういうの、ちゃんちゃらおかしいからやめようぜ、と私が言った。思った。

THE ひとり芝居

とにかくそういう非・生産的な自分をやめようと思った。

で、生徒さんが言ってくれる自分評価と、自分が自分でレッスンしてて思うこととか、それぞれのレッスンへ向かう時の気持ちとか並べてみたんや。

もちろん適当な性格、書き出してなどいない。 思い描いてたら、

今の自分がチーンて見えてね。悪くない。でも、自分を最大限に活用するにはちょっと違う、と思てるとこあるやろ!

と、思った。

若い頃と違うのは、

あくまでも自分を変えたくない、たとえそれがおかしくても

という恥ずかしい願いを認めた、というところ。

私は、どんどんハッピーになりたいのです。今もハッピーよ、でも、もっと上があると思う。それは、誰々さんみたい、では決してない。

ダサいままでいたい。

以前の目標設定は、そもそもおかしい。

心の奥底では、ダサいままが気に入ってんのに、モデルを目指していた。色んな意味で。

そして、このダサさではそれは叶わんわな、て思っていた。

ということで、ダサいまま、理想になれない、希望通り!だったわけ。

今の希望は、ダサいままで、もっと好きなようにしてハッピー。

と、何となくビジョンが見えてきたのです。

ダサくて、ヨガインストラクターとして深くないけど、妙に需要のある私の使い道。

ダサい、は、目指す人が少ない、ていうかいないので、ニッチ産業。

ニッチ産業な自分を自覚していたのに、それではあかんと思っていた。

自覚して幸せやったのに!

じゃあ、幸せの方でええやないか。

と、気づく小春日和カナヘイうさぎ