実際に向き合って話すと、めっちゃ嫌な人なんていなかったりする。
みんなそれぞれの想いがあってのことなんやな、ちょっと偏ってしまうことはあるにせよ。 とか、自分も含めてね。
じゃあ、まあ周りが嫌だ、なんてことは幻想やね。ごく小さな一般的な話としてよ。
さて、自分の本当の奥の方にいつもいる自分自身、ここと向き合う作業を大分やってきて、人の思考にも引っ張られない極意も自分なりに出来たりして、
本当に自分の思った道を行くと心はこんなにも穏やかなものか、と思う。
もちろん興奮したり、怒ることが日常に全くない、ということではない。そんな平たい境地には恐らく今世では行き着かない。何よりそれを求めていないので。
だって、私大阪に生まれたんやで
東京に行ったままの友達もいるのに、カナダに行ったままの友達もいるのに、私はこの俗世度半端ない大阪に戻って来てる。

俗世で勉強することがあるってことやん

このカオス
の中で穏やかに生きるという醍醐味
いちいち大げさやけど


まあ、何や色々言いましたが、自分自身でいる、というのは、大阪ではちょっとダサくなることになってしまうかもしれません。
または、格好良すぎになってまうかもしれません。
まさに紙一重

どうでも良いということです
他人から見て思われる自分など。

そこ基準に幸せはない、と知ってしまえば、誰でも今すぐ幸せになれる。
大阪にいて、カオスに飲みこまれずに、それを逆に飲み込んでう ん こ にして出してしまえ。邪魔やし
ハハハハハ
そして、媚びを売らずに思うままに表現しよう。
それでいらない、と言われたら、いらないの。それが私。
て、なった時、最強。
私は、今そんな風になるのが、ちょうど私のピンチャマユラアサナやハンドスタンドと同じ感じで起こるのよ
いや、ハンドバランスの方がちょっと遅れてる気もする。

恐怖

時々完璧なバランスが見つかる けど、結構まだ儚くて、でも私はそこに簡単に行ける方法を人に伝えられるまでになりたいから挑戦をやめない。
分かった気になる日もあれば、あれ!また分からんくなったやん
て日も。

でも、いつか出来るのは知ってる感じ。
それは平たいバランスではなくて、もっと遊び心満開な感じをイメージしてます。
だって今でも上手くいく時はそうやねん。
今日はいい感じやな
