ドライフルーツ、パウンドケーキ添え。なのか。
喫茶店のスタッフさんを問い詰めたくなる量のドライフルーツ。(思い留まりました)
ドライフルーツ好きにはたまりません。
めっちゃ美味しかった
内は外、外は内
豆まきじゃないです。(もうすぐ節分ね)
どんなに短い時間でも、
一日に一回、坐る時間を作るようにしています。
目を閉じると、眉間が白く光ります。
しばらくすると、
何とも言えずココロが温かくなります。
瞑想なんて、おこがましい。
答えなんて知らなくていい。
ただ、のんびりと、内側と向き合うだけ。
(時々居眠りしちゃうのは内緒ですよ)
意識していれば、笑顔だって上手に作れる人も居るでしょう。
でも、無意識のときの表情ほど、その人を物語るものはないと思っています。
笑っていなくても、
内側のココロは、外側に出てくる。
『表情に気付きを持ちなさい』
それって、無意識のときも、ですね。
素直かな?
嘘ついてない?
そのままのアナタでしょうか?
事実と感情の所在
久しぶりにRADWIMPSを聴きました
結婚式で使った曲があって。
妹に勧められてから大好きだった曲。
1年前くらいまでは、
悲しくて辛くて、聴いては泣いていました。
(じゃあ聴くなよw)
別に、RADWIMPS に泣かされたわけではないです笑
『RADWIMPSのあの曲』に自分の勝手な感情が結び付いて、涙に変わっただけです。
『記憶』として。
『事実』と『感情』はイコールではない。
想いが昇華されつつある今は、
大好きなあの曲は、やっぱり好きで。
あぁ、あんなこと、あったな。
感情が、ココロが、揺さぶられることはなくなりました。
やっぱり名曲だな
『あの曲』は昔も今も『あの曲』で在るだけ。
分かりやすくお伝えしています
悲しみの種に気づく
『事実』は『事実』なのに、
そこにたくさんの経験や感情や思い込みを重ねて、確認もしないでいろんなものを作り上げるのが人間です。
そして、その『事実+感情』が同時に思い出されるとき、それを『記憶』と言います。
まだ昇華されていないトラウマ。
自分を苦しめてしまう『種』になり得るもの。
ココロが揺さぶられそうな出来事に直面したら。
ココロが締め付けられそうな記憶があるなら。
一度、切り離して考えてみます。
そうすれば、
それまでは感情に溺れて見つけられなかった
『何か』に気付けるかもしれません
今日も読んでくださってありがとうございます^ ^
トモミ