今の私に繋がっている、悲しいけれど大切な思い出。



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今でもあの時の気持ちがよみがえるくらい悲しかったのは小学校の時のお弁当。その日のお弁当には、私の嫌いなおかずが入っていて残したまま家に帰りました。

 

当時、鍵っ子だった私は家にひとりきり。母に残したことを怒られるのが嫌で、こっそりティッシュにくるんで捨てました。

 

その時です。兄が帰ってきて見つかってしまい、ものすごく怒られました。

 

何を言われたのかは詳しく覚えていないけれど、「どんな思いでこのお弁当を作ってくれているのか考えたことがあるのか、よく考えろ」

と言われた事だけは今もはっきりと覚えていて、とにかく母を傷つけるような事をしてしまった自分、大変なことをしてしまった自分に対して、物凄く悲しかったこと傷ついたことは忘れることなく残っています。


 


それまではお弁当をどんな思いで母が作ってくれていたのかなんて考えたこともなかったし、私にとっては持たせてくれてあたり前のもの。


 


こっそり捨てた時も、兄に言われるまでそんなに悪いことをしていると思っておらず、ただ怒られるのが嫌、そんな軽い気持ちでやったことでした。


 


今なら私たちの健康を思い、どんなに忙しくてもお弁当を作ってくれた母の苦労や気持ちも、母の大変さをよく知り、母の気持ちを気遣う兄の気持ちもよくわかります。


 


お弁当や食事がある事はあたりまえではないこと、そこに至るまでにどんな背景や愛情が込められているのか考えること、母への感謝を忘れないこと。


 


この事は、生きていく上で忘れてはいけない大切な事を私に教えてくれました。


  


「目の前にあるすべての事があたりまえではないことを忘れず、感謝の気持ちを持って日々過ごす」



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今でもこの時に感じた思いや考えは、私の中に生きていて、仕事をする時、人との関わり、自身の健康とすべてここにかえってきます。大切な今の私に繋がる原点。


 


そして、切っても切り離せない私の食の原点もここから。毎日3食のご飯、お弁当、どんな時にもいつも母の手作りのご飯がありました。


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人にはそれぞれ必ず今へと繋がる原点があるのだと思います。



 

この記事はあげるタイミングをなくしてそのままになっていたものですが、新年、そして実家に帰省したこともあり、ふとあげようと思えました。

 

今年、父は古希を迎え70才。両親ともあちこち身体にガタがきつつも、変わらず2人でお店をきりもりしています。短気な父に、マイペースで世話焼きな母という図式は昔のまま、時にケンカをしがらも仲良く過ごしているようです。

 

帰省してきた兄と兄家族、甥っ子姪っ子たちに四六時中振り回されながら、いろんなことを思うお正月。

 

父と母は出会って50年だそう。私の人生以上の長さを共にしている2人。両親、そして兄夫婦と、いろんな家族の形を目にし、私には知り得ないそれぞれの人生、パートナーとの人生があるんだろうなと思ったりしています。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。