自分の進むべき道が、ヨガやその哲学にあることをついに悟った綿本。

2ヵ月以内に会社を辞め、インドに経ち、ヨガや瞑想の修行を経て帰国し、その後あんなことやこんなことなど様々な活動を行っていくという、
縦横無尽のアイデアが泉のごとくぽわぽわと湧き起こり、そんな構想を企画書(相変わらず手書き笑)にしては兄に送り、構想を膨らませていったのです。

とは言え、兄から誘われたので承諾はしましたが、実のところ、そもそも私はビジネスやら商売には興味がなくて、ついでにいうとお金にもあまり興味がなく、本当に深めたいのは哲学であり、その探求であり実践であり、それを様々な形に変えて世に提供していくこと。

なのでビジネスサイドについては、生粋の大阪商人である兄が担当し、私はひたすらに自分の道を深めていくという役割分担の未来予想図を着々と描いていったのでした。



まさに『ONE PIECE』43巻414話の名セリフの感じです。

誰でもできる事とできないことがあって、
自分は相手ができないことをやり、
相手には自分にできないことをやってもらう。
(著作権の関係でセリフは変えています笑)


でも、最初から互いを補い合って活動するんじゃなくて、それぞれがピンで自立し、互いに頼らずそれぞれのフィールドで力をつけ、自分の脚でしっかり立てるようになってから、再び力を合わせて何かを為す。


これまた『ONE PIECE』でいうところの、2年の修行期間です(もうONE PIECEネタは封印します笑)。



互いに依存するのではなく、個々がそれぞれの道で十分な活動を経て実績を残し、そんな二人だからこそ、互いに力を合わせたときに、本当に価値あるものを世に提供できるのではないか。。。

そんな構想のもと、結局私たちは30年弱の修行期間を互いに積み、私の方は信念をもって自らをヨガ行者と名乗れるように、兄はまわりからあの人は商人だわと思われるようになるのですが、それはずっとずっと先の話。。。。


とにかく当時の私は、そんな壮大なシナリオを真っ白な心のキャンバスに自由に思い描き、会社を辞める準備を進め、インドの情報を収集して具体的なスケジュールへと落とし込み、インドに持っていく参考書を日々かき集め、同期のみんなに盛大に見送ってもらいながら、というか一緒に鴨川に飛び込んでスーツがズブ濡れになりながら会社を円満(ではなかったと思いますが)退社し、ついにその日を迎えることになったのです。



1993年8月29日(日)。

綿本彰は、まだ見ぬ未来に希望(30%)を膨らませ、不安症なので80%は不安を抱え、人生初めてのインド修行へと旅だったのでした。