昨夜もこれについて語ったので、どうしても文字に起こしておきたくなった。
私たちは時に明らかな事実を目の前にしておきながら、その事実から目を背けて理想を真実として理解するという行動を起こす。。
例えば、雑誌で有名な女優が新しいスキンケア用品を絶賛していたとする。
自分もそんな美しい肌になりたくて購入し使用するが実際肌が良好にならなかったとする。
それでも、いつかきっと、絶対綺麗になれるんだと雑誌の中に真実をおき、事実起こっていることを認めない、もしくは目を背けるということをする。
事実知っているのに、理想に走るのは
自分を認め信じてない現れなんだろうか。
昨日アップしたブログにも近い内容だけど、
冷え性解消したくて、ヨガはじめたけど実際冷え性は改善されずにいるのに、ヨガは必ず冷え性を治してくれると練習内容も変えず、続けているだけ。。。ただひたすら。
など、
大好きなプラクティス、向上心も湧くしワクワクする。。
でも実際、年齢や身体の状態を見た時に本当に
適しているのか?
好きなことと必要なこと
区別すべきかもしれない。
こういうことって意外と自分では気づけなくて
他者が自分を見た時にはかなり明確に気づけてて、信頼関係にあったり、大切に思われてたら言ってもらえますよね。。
しかしながら、これまた言ってもらえてんのに
「そうよねー」と言いながらスルーする。
せっかく言ってもらえてんのに。。。
私は常々大事な大事な友人であり、仕事仲間の
Yさんに言われていることがある。
多分、何回言わせるねんって飽きられてるかもしれない。
それでも毎度私の相談に乗ってくれる。
いつも的確な意見をくれる。
最近はTさんもあからさまに私の盲点を突いてくれる。
「ともこさん、人が良すぎんねん」
結局そこなんですけどね。。。
怖いとかとっつきにくいとか言われる反動か
多分私の良いところであり、悪いところ。。。
言われて気づかされているから、気をつけるようにしていることがある。
それでも、完璧には改善できずに「やっちゃったー」ってなってますが。。
スルーし続けてたら、友人すらいなかったかもしれない。
だって、人って、そこまで他人に労力使ってられないから。
何が言いたいかというと、
傾聴しよう
ってこと。
人の意見に対して熟考した時に
事実が明らかになる。
他者が正しいわけではない。
でも自分が正しいわけでもない。
事実を把握した時にやっと理想への道が見えるんだと思う。