石川県、富山県の皆様、被災者の皆様に

一時でも早く穏やかさが訪れますように。


とんでもないお正月になっていて

何か出来ることがないかと

胸を締め付けられるような気持ちになりますね。


そう思ってる方もたくさんいらっしゃると思います。




辰年の『辰』の字は

『ふるう、ととのう』を意味する『振』で

万物が振動することを指すそうです。


本来の意味は陽の気が動いて万物が振動し

活気旺盛になって大きく成長して形が整うそうですが


地の振動は形を壊し、活力を奪うものとなりました。


被害に遭われた方々が

一日も早く日常を取り戻されること

これ以上被害が広がらないことを祈り


この災害を忘れずに

支援と次の振動への備えの必要性を

切実に感じる年明けとなりました。


東日本大震災を乗り越えられたワタナベ薫さんの記事です。

経験されたからこそ分かること、伝えられることが盛りたくさんで

私もさっそく備えました。


那覇市の波上宮の龍たち


ここからは回顧録になりますが

お読みいただければ幸いです。


最後に、被害に遭われた方や、

今回の地震で胸が締め付けられる方へ向けた

瞑想をお伝えしています。




昨年の7月に今回の震源地、

能登半島の先端にある須須神社(すす神社)に参拝し

その時に同年のGWにこの辺り一体が

大きな地震に襲われたことを知りました。


崩壊した鳥居や倒れたままの灯籠、

台座から転げ落ちた狛犬などが

そのままの状態で放置され


地震被害の大きさと

復興支援が届いていない現状を目の当たりにし


いくら遠く離れた沖縄在住だからと言って

地震の発生すら知らなかったことを

恥ずかしく申し訳なく思いました。


道路に面した大鳥居が崩壊


立ち入り禁止のビニルテープとガムテープで示す


台座から転がり落ちた狛犬


今すぐ出来ることは何かを考え、

本殿に設置された募金箱に寄付をして

近しい人たちにこの現状を伝えてきたところ、


僅か半年後に再び大地震に襲われるなんて

胸が痛い。


本殿は綺麗でしたが両サイドにある灯籠が台座からポッキリ折れています


ともに参拝した友人が琉球王府に仕えていたノロ

(神の言葉を伝える神女)の末裔ということもあり

神様の声を聴く力を持っています。


彼女曰く、

須須神社は日本列島の鬼門に位置する神社。

鬼門は穢れを嫌うからこそ

綺麗に整えておかねばならないのに


こんなふうに壊れたままでは、

次に入ってくる災難、厄災、邪気を

抑えきれないと言っていたのも思い出されます。



次に入ってくる厄災、災難が今回の地震だったとも

捉えられます


参拝の翌日に金沢在住の友人と会い、

須須神社の惨状を伝えたところ、


石川県の南部に位置する金沢と

須須神社がある最北端の珠洲市(すずし)とでは

距離がかなりあることから


同じ県内でも現状を知らない人の方が

多いと思うという言葉に衝撃を受けました。


須須神社は能登半島の最北端にあります


国の復興支援や寄付で集められたお金では

到底足りないこと、進まない復興を政府はどう見ているのか?


自分を含め、世間の無関心度を何とかせねばと

思っていた矢先に起きた同じ場所での大きな地震。


上記の話を近しい人たちには口伝いで知らせてきたのですが

ブログにも綴ることにしました。


時間の経過とともに関心度が薄れたり、

忘れ去られるなんてことがあってはならない。


ブログなら時間が経っても見に来てくれる人がいる!


友人が『本殿から鳥居の中心へと流れてくるはずのエネルギーが右側へとズレて流れて来ている』と言ってました。


ですが、今は寄付と祈ることしか出来ないので

祈りの瞑想をお伝えさせてください。


被害に遭われた方々だけでなく、

この地震を知って胸が苦しくなっている方にも

とても効果があります。


能登半島の先端にあるランプの宿。一度は泊まってみたい憧れの宿No.1の常連です。津波の被害が心配です。


この4つのワードを3回繰り返して呟きます。


①安全でありますように

②健康でありますように

③幸せでありますように

④苦しみから解放されますように


深い呼吸を繰り返しながら、


1回目は自分の愛する人や

大切な人たちの安全を願いながら④まで。

『私の愛する人たちが〜①』

『私の愛する人たちが〜②』〜④まで。


というように。


2回目は自分自身に向けて。

『私が〜①』

『私が〜②』という感じで④まで。


3回目は自分が苦手とする人や嫌いな人、

はたまた、自分を苦手とする人や自分を嫌う人たちにも届くよう。

『私が苦手な人、嫌いな人達、私を苦手とする人、私を嫌う人たちが〜』と④まで。


チベットのダライ・ラマが毎日行うと言われている

生きとし生けるものすべてに対して

安全と健康と幸せと、苦しみからの解放を願う

『慈悲の瞑想』と呼ばれるものです。



金沢から能登半島の先端へ向かう途中の別所岳スカイデッキ

『能登ゆめてらす』にて。


誰かのために祈っている間は

自分の不安から離れることができ、

そこから心の平穏を取り戻しやすくなる。


不安に押しつぶされそうなときほど

誰かのために祈る。


そんな時に誰かのためになんて!と

思われる方も多いと思いますが、


私たち人間の本能の一つには

コンパッションという思いやりの心があります。


このコンパッションに触れることで

自分の感情に振り回されることが少なくなります。



今回の地震で被害に遭われた方々が、


暖かい場所で眠れますように

どうかご無事でいてください。


一日も早く日常を取り戻されること、


これ以上被害が広がらないことを

心よりお祈り申し上げます。


2024年 1月02日