明けて今日、結婚式に出席する。



小学校の頃からの友人で、僕の学生時代の思い出へ最多出演を誇る友人の、結婚式に出席する。



人生のターニングポイントを迎えるその彼に、僭越ながらここで、友人代表のスピーチを送りたいと思います。



それでは。



(ボガーン!!)





司会者「新郎の友人であります、原慎一さん、お願いいたします」





えー、どうも。



ただ今ご紹介に預かりました、新郎Yくんの小学校からの友人、原と申します。



誠に勝手ながら、本当に勝手ですが、友人としてYくんに言葉を送りたいと思います。



小学校3年の時のクラス替えで、僕は初めてYくんと出会いました。



クラス替え初日の、席替え直後の昼休み。1、2年の時の友達、Kくんと2人でドキドキしていると、Yくんはベランダから窓を開け、窓際の僕らに向かって【自分で考えた架空のニュースを、ニュース番組のノリで伝えてくる】という、謎の芸を披露してきました。



何故そんな事を急に。



後から聞けば、Yくんには僕らのような、1、2年からの友達がクラスにおらず、たった一人でクラス替えを迎えたとの事。



その超絶アウェーの中、よりによって【自分で考えた架空のニュース】という武器を片手に、僕らに突撃してきたYくんは、



次の日の昼休みも、そのまた次の日の昼休みも、1日1回、ニュースステーション(当時)と同じペースで、久米宏ばりに、架空のニュースを読み上げてくれました。



それまで、互いに確かめ合った事はなかったけれど、ある日突然「この番組は今日で終わりです」という最後のニュースを、重々しく読み上げるYくんに、Kくんと2人で「やめないで」と声を上げたその日から、僕ら3人は友達になったんだと思います。



帯のニュース番組から解放されたYくんと、Kくんと僕の3人は、何をするにも一緒でした。



そして4年生になり、僕は野球のスポーツ少年団に入り、YくんとKくんを誘い、しばらくしてKくんも入り、当然Yくんもと思ったのですが、そうはなりませんでした。



Yくんのお母様は、あちらにいらっしゃいますけれども、あ、どうもお久しぶりです。



ご本人にご挨拶してから言うのが非常に気まずいのですが、Yくんのお母様は、末っ子であるYくんに対して強烈なまでの過保護っぷりでして、野球をやりたいというYくんの訴えは瞬殺されてしまったのです。



Yくんのお母様、なんかぶっちゃけちゃってすいま…あ、全然こっちを見てくれない。



十数年ぶりに会った、新郎のお母様を敵に回してしまったところで、話を元に戻しますが、



とにかくYくんの訴えは却下され、友達である僕とKくん、両脇を野球で挟まれた状況なのに野球禁止という、生き地獄のような日々を送る事になりました。



でもYくんは、お母様に文句を言う事もなく、土日が練習で一緒に遊べなくなった僕らに笑顔で「がんばれよ」と言ってくれました。



そして、同じ中学に入った僕ら3人は、満を持して野球部に入部します。



一緒に球拾いをし、一緒に声出しをし、一緒に部室にエロ本を隠し、僕らが求めていた日々がそこにはありました。



しかし。



僕らの代が中心のチームになってから、Yくんとの間にそこはかとなく溝のようなものが生まれてしまいました。



その前からちょこちょこレギュラーとして試合に出ていたKくん。



野球経験者という事で何とかレギュラーの座をつかめた僕。



僕らの中学は、県内で有名な弱小野球部だったので、レギュラーといってもたかが知れてるのですが、



そんな野球部の中でレギュラーになれないYくん。



誰よりも早くグラウンドに来て、守備練習でエラーをし、練習後に居残りで素振りをして、下級生にレギュラーをとられ、バッティング練習でバットにボールが当たると、みんなから天才と囃し立てられる。



練習終わりの帰り道、僕は何度もYくんに「あんなの気にするな」と言おうとしましたが、それを言う前にいつも「清原の打ち方ってさ…」明るい笑顔で話しかけられ、言えずじまい。



そうして迎えた最後の大会。相手ピッチャーが完全にナメてかかってきてくれたおかげで、まさかの4点リードで試合は終盤。



ここで、3塁コーチとして不動のレギュラーだったYくんに声がかかりました。



公式戦に初登場を果たした、代打のYくんに、僕らは大盛り上がり。



ただそれ以上に盛り上がっていたのが、何を隠そう、Yくん本人。



遂に打席に立てるという喜びからか、満面の笑みでバッターボックスに向かい、満面の笑みのまま三球三振したYくんは、満面の笑みを浮かべながらベンチに戻ってきました。



結局、竹中直人さんを彷彿とさせるYくんの【笑いながら三振する人】に惑わされる事なく1回戦を突破した僕らは、



次の試合で強豪校を相手に実力通りの戦いを見せ、5回コールド負け。



試合終了をネクストバッターズサークルで迎えた僕が、整列の輪に並ぼうとしたら、



さすがにその試合は出番のなかった3塁コーチのYくんの姿が目に入りました。



次の瞬間。



Yくんの体が、よく投げ方をマネしていた野茂のフォークのように、ストンと落ち、Yくんは全身を震わせながら泣き崩れました。



僕は今まで沢山の野球の試合を見てきましたが、グラウンドにいる誰よりも泣き崩れる3塁コーチを、見たことがありません。



そして、泣き崩れる3塁コーチに気付き驚きの表情で固まる3塁ランナーも。



そんな奇妙な光景を見て、三振しても笑顔になっちゃうYくんが頭をよぎって、「笑えよYくん」と思ったら、僕は泣いてしまいました。



ただそれは僕だけではなく、チームみんながYくんを見て涙を流し、そして誰からともなく、Yくんの元に駆け寄っていきました。



Yくん、結婚おめでとう。



試合後の円陣で、監督が話し出す前のほんの少しの沈黙の瞬間に、誰かのお腹が鳴り、Yくんがテヘペロな笑顔を見せ、僕らは笑顔で最後の大会を終える事が出来ました。



こうしてYくんとの思い出を紐解いてみたら、僕はYくんの笑顔に何度も何度も助けられてきた事に気付きました。



Yくん、ありがとう。



この先どんなに三振したとしても、あの時そうしたように、笑って笑って笑い続けて、奥さんとどうぞ末長くお幸せに。



そしていつかその幸せを、架空じゃなく実際にあったニュースとして、僕とKくんに聞かせてください。



それでは最後にもう一言。









現実の友人代表のスピーチ、何故おれじゃないのかね?









え?仲良かったよね?俺ら。









それはこちらからの、一方通行だっ…









司会者「原慎一さん、ありがとうございました!!」









最後の最後で、ダークなボキがコニャニャチワしてしまったが、祝う気持ちは超あるんだ、ほんとに。



以上、勝手に友人代表のスピーチでした。



Yくん、おめでとう。