稽古を終えた僕は、自転車のギアをガチャガチャといじくりながら、信号を待っていた。

夜10時前。

やっぱオシッコしてくればよかった。まだまだ赤いままの信号をぼんやり眺め、そんな事を考えていると、横にランナーがやって来た。

夜10時前。

稽古帰りのその時間に外にいて気付いたんだが、最近とにかくランナーが多い。老若男女問わず。

おそらく皆様、仕事終わりで、空いた時間を上手いこと利用し、健康のために程よい距離を、走っておられるのだろう。

頭が下がる。ゴロゴロしちゃうよ僕。空いた時間は。6畳の部屋の中でさえ、出来れば一歩も動きたくないよ。

ルンバがあれば別だけど。横にゴロっとなった状態でルンバを、頭と腰と足の下に3つ敷いとけば、横になったまま動けるから。

ただ、ひとつ問題を挙げるとするなら、各ルンバが同じゴミを察知してくんないと、それこそ真逆のゴミを察知されたりしちゃうと、「頭はあっちで、腰そっち!?」みたいに、おもしろい角度に体が曲がっちゃう点。

そんな事を考えるほどに、こちらはゴロゴロしてたいのに、ランナーは空いた時間を走る事にあて、しかも中には、実業団の方?みたいなレベルの、弾丸ランナーの方もいらっしゃったりする。

僕からしたらもはや、グリフォン並みに想像上の生き物なんだが、弾丸ランナーは間違いなく実在する。

その日、信号待ちの僕の横に来たランナーが、そうなのだった。


数日前、やはり同じくらいの時間に、同じ信号を待っていたら、

蛍光イエローのピタッとしたウエアを着た彼は、そこにいて、

信号が変わった瞬間、ロケットスタートで駆け抜けていったのだった。

こちらは自転車で後を追ってみたが、信号を渡ってすぐの上り坂でソッコーへばり、

何なら自転車を降りて、結局押しながら坂をのぼるという、苦い思い出があった。


リベンジチャンス到来。


これは自転車乗りの威信をかけた、あと僕みたいな自堕落人間の威信もかけた、勝手なバトルだ。

ほんの数日で、こちらの脚力が飛躍的に増してる事はないだろうが、今回の僕には、スピードアップのためのエンジンが搭載されている。


尿意。


オシッコがしたい焦りを脚力に変え、まずは(僕にとっては)心臓破りの坂を突破する。

しかし、それだけではエンジン不足だ。坂をのぼれたとしても、そこから先が続かず、ッパン。膀胱破りの坂だ。

横の蛍光イエローの彼をチラ見する。シュッとしてる。場所は恵比寿だ。

恵比寿で。ランニング。シュッとした若者。さぞかしモテる事だろう。あと、足が速い。ぜってーモテるじゃねえか。

彼への、これまた勝手な、卑屈さをエンジンにする事を決定し、にょーいドンのタイミングを待つ。


彼は僕よりモテる…


彼は僕よりモテる…


彼は僕よ…


信号が青に変わってしまった。まだ「なんかティモテに似てるね」でおなじみ、2モテしか溜まってないのに。

急いでペダルを漕ぐ僕。が、重い。あ。ギアが7。2番目に重いやつ。そっか。さっきガチャガチャいじってたからだ。

急いで3にする僕。改めましてにょーいドン。が、ガチン。え。自転車を見下ろす。チェーンが。チェーンが外れていた。




夜10時過ぎ。




チェーンを直し終えた僕は、全く同じ場所にいた。

心臓破りの坂どころか、横断歩道の手前で、渡れてもいない。

蛍光イエローを見る事すらなく、ただただ余計にオシッコがしたくなる始末


ぁぁ。

涙かと思ったら、目にゴミが入っただけだった。




第3ラウンドがあったら、

棄権するつもり。




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