よだきいのブログ

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プロ野球選手だった石丸進一が神風特攻隊に任命されて爆弾を搭載して死にに行く零戦の前で今正に人生で最後のキャッチボールを野球が本当に好きだったと心から噛み締めるように行っている写真を見付けた。

神風特攻隊を調べるとやる気がない兵士が多かったと分かったけれども石丸進一は違う。自ら志願して日本のために死を選んだらしくて顔付きもそれだけ勇ましさが溢れているのではないかと瞬く間に頷かれる。

写真ではプロ野球選手としての生涯を名残惜しみつつも自分らしさを解き放つようなキャッチボールと共に責任感を持って神風特攻隊の二度と生きては帰れない任務を覚悟を決めて遂行しようとする命懸けの思いがはっきり伝わって来るから第二次世界大戦の戦争物語に打って付けのドラマチックな感動を呼び覚まさずにはいない。

普通に考えて当たり前に思い浮かべる有り難みも非常に大きい。この人がいてくれたからこそ今の日本も存続しているわけだった。歴史的な重みが犇々と味わわれてしまう。もはや足を向けて寝られないとも過言ではないだろう。国の存亡を賭けた一人の人間の佇まいにはどんな仕方で果たされた後世からでも涙を誘うように胸打たれるのが自然に違いない。

石丸進一の零戦の前でのキャッチボールの写真は魂が震える瞬間が素晴らしい詩の一節のようにまるで表現されていて注目せざるを得なかった。

 

 

 

プロ野球では石丸進一は名古屋軍(中日ドラゴンズ)に入団して主に投手としてエースの活躍を見せていたらしい。全盛期にはチームの四割の勝利に貢献していたというから大黒柱といって良い。

ノーヒットノーランも、一回、達成している。相手を全く寄せ付けない試合運びだけれども本当に数少ない結果を残した。相当に秀でた投手だったはずだ。

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夏、ハスの季節ですね。各地から花の便りが届きます。仏教と関わりの深いハス、大仏様や仏様が座る台、蓮台はハスの花を模った台座です。ハスは、泥沼の中から、この世のものとは思えないくらいの美しい花を咲かせて、実を結びます。また、葉も水を弾く性質があることから、泥=迷いの中から、花と実=悟りを結ぶという、生態と仏の教えが合致して、ハスが仏の花になったのでしょう。見ていても、素直にそう思えます。

 

 

 

 

 

浮世絵とは
17世紀から20世紀の初め、日本の江戸時代に成立した絵画のジャンル。人々の日常生活や風景、風物などを描いた風俗画。

ヨーロッパ人が日本文化を知るきっかけとなったのは、日本から輸入した陶磁器を通じてだった。その当時、日本では浮世絵をチラシや新聞紙のように軽く扱い、貴重な陶磁器が割れないように包装紙として使用していた。しかし、当のヨーロッパ人たちの目を引いたのは、その本体となる陶磁器ではなく、包装紙の方であった。

自分たちとはまったく異なる顔の人々、女性の服…そんなエキゾチックなものが描かれた包装紙絵にヨーロッパの人々は熱狂をした。特に光の変化に応じて刻々と変化する風景を描くのに疲れていた印象派の画家たちは、その当時自分たちにはなかった 、日本画の大胆な構図と鮮やかな色彩に衝撃を受けた。その後、印象派の画家たちは、自分の絵の中に、日本を象徴する屏風、扇、着物、陶器、掛け軸、浮世絵などを半ば競争的に描き入れ始めた。このような19世紀半ばに見られた洋画家たちの日本美術に熱狂した時期を「ジャポニスム(Japonisme)」という。

 

浮世絵の巨匠と呼ばれる北斎の赤富士

 

神奈川沖の波

 

その当時人気が高かった芸者を描いた版画

 

睡蓮で有名な画家クロード・モネの作品。
和服を着た自分の妻を描いた絵。
モネは家全体を日本絵画や日本家具で埋め尽くした。

 

中でも特にジャポニスムにのめり込んだのがフィンセント・ファン・ゴッホ。
背景に浮世絵が描かれている。
実際の作品も日本画風を取り入れたものは多い。