いじめについて、前回のつづきです。

今回は具体的ないじめの内容は控えめに、

自分の内面についてメインに書きましたが、

いじめに関する内容が苦手な方はお気を付けください。

 

 

知っている人、あまりいない気がするのですが!!

「12の誕生日に」という歌、ご存じですか?

 

〇〇生まれの友達に~♪

と、12か月分、ひと月ごとに歌詞がある歌で、

小学校中学年くらいに好きでした。

 

調べると、ピンキーとキラーズが歌ってるのですね!

しかも作曲はいずみたく先生!!編曲が渋谷毅さん!!!

調べてテンション爆あがり!!!

 

脱線しました。

 

私は7月生まれで、

自分の生まれ月の歌詞について、

母にこんな話をしたことがあります。

 

 

「7月生まれの友達にってあるけど、私にはひとりも友達がいない」

 

 

これを話したこと、母に本当に謝りたい!!!

 

 

こんな話したらどう反応するかな?という興味本位と、

単純に思っていたことを言葉にしただけだった。

困っていることを打ち明けたとかでは全然なかった!!

けれど、子供がこんなこと言ったら親は心配するに決まっている!!!

(当時も心配するとわかっていつつ、どう反応するかな?

と思って言った気がする。悪質!!)

 

案の定その夜、

こっそり父に「ヨダカがこんなこと言ってた」と

母が相談しているのを別の部屋から盗み聞きした。

悪いことをしたという罪悪感で、

父がどう答えていたかなど、すべて忘れてしまった。

ただただ、罪悪感の記憶。

 

これを機に、

いじめられてるかも?を親に知られるのを極端に恐れるようになった。

 

 

いじめ、かっこわるい。ではなく、

いじめられるの、かっこわるい。が当時の私の気持ちだった。

 

心配されるのは自分が不完全で恥ずかしいこと。

心配されるのは苦手。

勉強しなさいと言われたことはないが、

勉強してるところ努力しているところを親にみられるのを極端に嫌った。

勉強中部屋に母が入ってきそうな時は、

勉強道具を隠し漫画を読んでるふりをした。

努力、いい子、がんばる子、かっこわるい。

これは発達障害あるある、ではなくて昭和生まれあるある?

次女あるある?自意識過剰、思春期あるある?

まぁ、人それぞれ。

 

 

脱線どころか離陸してしまいました。

 

 

 

いじめられるのは、そりゃあいじめられる方が悪いよねと、

当時は思っていました。

 

漫画も写実画も好きだった当時。

「私の絵を描いてー」と、今思えば漫画風に描いてほしかっただろう女の子に、

当時ハマっていた鼻の穴とか唇とかも力強くガッツリしたタッチで描き、自信満々にみせた。

「めちゃブスに描かれた」と泣かせてしまった。クラスの女子からは非難轟々。

そりゃあそうだ。

 

 

卒業式の日に、

みんなが泣いているのが不思議で、

多分ウソ泣きの人も多分いて、それがおもしろく、

何年生が何人、何年生が何人泣いていたと集計し自慢げに発表した。

これはマーチング部の先輩に相当絞られた。

 

子供には悪意がない、という言葉。

私もそうだったし、いじめた人もそうだったし、

大人になっても悪気敵意がなく誰かを傷つけてしまうことは当然ある。

だから、当時の誰かを未だに恨んでということは、

自分にはない。

 

 

じゃあ、いじめは悪くないのか?

 

 

すごく指摘されるであろうことを話します。

 

 

正直、自分にとってはいじめはわるくなかった。

むしろ、いじめを受けてよかったと、

心から思ってその後生きてきました。

 

 

興味のないことは徹底的にめんどくさがる子供でした。もちろん現在も。

日本舞踊、お琴など、作法の身につく習い事も助けになり、

女性差別バリバリの中バリキャリで仕事をしていた母の教えもあり、

そこそこ品のある所作は身につきましたが、

物凄いパワーを要しました。

 

人を不快にさせないように最低限の身だしなみ、マナー、

変な動きやクセを隠すこと、などなど。

(鉛筆は高校生の頃も隠れてかじっていた。爪はもちろん現在も…)

 

いじめがなければ、

いま身に付いているそれらのスキルは身についていなかったと思う。

 

 

本当は傷ついていた?自己防衛だった?

そうかもしれないが、ネガティブなものにカロリーを使うのは勿体ない。

全部、活かそう活かそう思考。


変な子でしたが、

自分の凸凹したところは大好きでした。

変って言われることはむしろ嬉しかったし、

変なところが出現する時こそ、

自分をワクワクさせる何かに熱中していた時でした。

 

社会的スキルの欠如することくらいで、

周りから賛同を得られず、協力者を得られず、

好きなことをできない、発揮できないのはありえない!!!!

普通のふりをすることくらい、自分のやりたいことの為には身に着けてやろう!

そうやってコミュ力や愛嬌をその後メキメキ伸ばしていきました。

(女性の発達障害の出現がカメレオン型と呼ばれるのは、こういったことからでしょうか。)

 

自己肯定感を伸び伸びと、特技だけ伸ばして生きてきていたら、

このジェンダー過渡期までにもっと大変な思いをしてきた気がします。

好きなことをこんなに実行してこれなかったと思います。

(はたまた凄い奇人変人になれていたいたか!!!)

 

 

小学生生活、その後のこと。

土曜日の登校がないらしい!と偶然知って、

市外の国立附属中学校に進学しました。

友達はそもそもいないと思っていた、未練ゼロだったから

迷いゼロで受験を受けることができた気もします。

中学校では地元の友達ゼロ。同窓会は参加経験なし。

中学卒業後は、なんだかんだで旧帝大まで卒業し、

就活も全くせず変な生き方になりましたが、

素晴らしい友人とも中学以降、たくさん出会えました。

自分のかけがえのない財産です。

 

そんな財産すら、

自分がいじめを受けて、偶然あの時受験をしたから出会えたのだと、

そんな思考を持ってしまいます。

その後、評価をされてきた、自分を肯定できる経験ができたからこそ。

いじめはいけないこと、

普通はつらい思いをすること、忘れられない人も大勢いること、

人生を壊すことだって命だっで奪うことがあるということ。

表面ではわかっているフリをしてきましたが、

心のなかでは、自分のなかで、

自分が受けたいじめを肯定してきたと思います。

また生まれ変わっても、いじめられても良いとすら思ってきました。

 

 

 

少し、変化が訪れました。自分が親になって。

 

 

自分の子供が、自分のような目にあうこと。いじめられること。

 

 

それを想像するだけで、涙が出そうになります。

お願いだから、いじめないでください。

どうか、いじめられませんように。

 

 

 

いじめられたことのある方、本当にごめんなさい。

 

人の気持ちがわからない、という自覚がありませんでした。

わかろうとしてきませんでした。

やっぱり私は、人の気持ちがわかっていなかったのだなぁと、

ようやく親になって少しだけ、気づけたような気がします。

 

 

 

 

少し重たい話もあるなか、読んでくださってありがとうございます。

そのうち、いじめれられていたけど楽しかった小学生の頃の話を

スピンオフで書きたいなと思っています。

 

さぁ、ゴールデンウイークが来ます!!(ブログハイパーモードは小休止します)

仕事も家族レクも、楽しみます!みなさもよきGWを!