戦争体験語り部/実業家・與田治郎右衛門
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『戦争体験語り部・実業家、與田治郎右衛門(襲名前:純次)』のブログ

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【與田治郎右衛門純次とは?】
戦争体験語り部、実業家、元大使館職員。大正14年(1925年)、兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市竹野町)に生まれる。先祖は江戸時代初期から寛文12年(1672年)頃、寛保2年(1742年)頃から寛政8年(1796年)まで庄屋(江戸時代の村役人である地方三役の一つで村の首長)を務めており、北前船(江戸時代に日本海海運で活躍した北国廻船)の船主でもあった。寛文年間(1670年代)からは「元庄屋」という屋号で様々な商売を営んできた。
大日本帝国上海大使館事務所勤務の後、1945年、大日本帝国陸軍満洲独立工兵隊1893部隊に幹部候補生として現役入隊(甲種合格)。終戦直前、満州にソ連軍が侵攻し戦闘になり、所属部隊は、ソ連軍の戦車攻撃に対し、命をかけた肉薄攻撃作戦(黄色爆薬を抱えて蛸壺に潜り、戦車の下に飛び込む特攻)に出る。自身の蛸壺の方へ戦車は向かって来なかったが、近くの戦友たちが蛸壺から飛び出し自爆する光景、またその爆撃を受けながらも土煙の中から何事も無かったかのように出てきた戦車の様子は、今なお脳裏に鮮明に焼きついている。終戦後、朝鮮半島を南下敗走。20日間に及ぶのサバイバル生活を、カタツムリを食べて生き延びる。途中、部隊は、ソ連軍に囲まれ銃弾を浴び、隊員の半数が銃弾に倒れる。その後、ソ連に日本軍捕虜として連行され、約3年間の強制労働を強いられる(シベリア抑留)。監視の厳しい抑留生活の中、シラカバの木の皮でトランプを自作し、戦友たちと無事に帰国できるかを占った。このトランプは帰国時にソ連の検閲に引っかからなかったため、日本へ持ち帰ることができ、現存している。
1947年に解放され帰国。翌年、父・與田治郎右衛門(先代)と共に保険代理業を開業。その後、天然凍豆腐製造業、乾麺製造業、豆腐油揚製造業を開業し、1949年に凍豆腐製造業九鹿冷凍工場を設立開業。1955年4月、豆腐油揚製造用機器及び各種燃焼機器卸小売及び工事施工業者、元庄屋商店(現:株式会社元庄屋)を開業し社長に就任。
1991年2月、内閣総理大臣・海部俊樹より、シベリア抑留に対する慰藉の念として銀杯が授与される。
2017年4月、先代(父)まで十数代に渡り襲名されていた「與田治郎右衛門」を襲名。與田純次改め與田治郎右衛門となる(神戸家庭裁判所豊岡支部審判)。
近年、自らの戦争体験を、インターネットを通じて若い世代に伝える活動を行っている。過去にはシベリア抑留に関しての執筆をしており、また各種メディアから戦争体験に関する取材を受けている。
92歳になった2017年現在も、「生涯現役」をモットーに毎日働いている。健康の秘訣は就寝前・起床後に各30分かけて行う腹筋・背筋のストレッチ。

【戦争体験インタビュー映像 (みんなの戦争証言アーカイブス)】


【サンテレビ『4時!キャッチ』(2019.8/13放送)/サンテレビ 『ニュースSUNデー』(2019.8/18放送)】


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