ちょうど25年前の1987年9月21日は、ファースト・シングル「パヤパヤ」のリリース日!




25年前の今日にありがとう!!


25年 四半世紀 







すごいなぁ









少し前に ある人が言ってた












 20年前を思うと遠い昔の事のような気がするし、昨日の事のようにも感じる。


  結局この年月がどんな意味や記号を持つのかいまいち分からないというのが本心だ。

  

  だからあの頃の世界と現在とで何が変わったのだろうかと考えた。

  ひとつひとつの変化をあげつらうとかなりの事が変わった。



  でも人々の暮らしをかいま見るにいつの時代も人の心はそうそう変わるものでもない。


  「僕は誰々ちゃんが好きなんや~!!」とか、


  「有馬記念とった!わ~い!!」とか今日もどこかで誰かが叫んでいるだろうし。


  赤提灯で上司の愚痴を言うサラリーマンも公園で元気に走り回る子供の姿も変わらない。

  今敢えて子供の姿について触れた。


  というのは20年前の子供と今の子供は違うものだという認識の方が世間的に強いからだ。

  だがその認識自体も20年前と変わらないのだ。




  つまりあの頃も



  「今時の子供は走り回る原っぱもなくて家でテレビゲームばかりしている、末恐ろしい~。」といわれていた。



  今の子供は挨拶が出来ない。覇気がない。無責任。やる気が見えない。etc,,,.と。



  で、思い出してほしい。



  こういった子供への評価は実は私たち自身が子供の頃親や世間や先生から



  いわれ続けた事でもなかったろうか。



  考えてみればあたりまえだ。



  ちゃんとした挨拶の習慣が、ちゃんとした責任感が、ちゃんとした社会性が、子供にある訳ね~だろ!



  子供には子供の世界がありその中で懸命に生きている。 



  それが大人の尺度からずれるのはいつの時代でも当然の事だ。




  つまり変わったのは人間ではなく。



  環境だという事だ。



  環境が我々の生き方を変えるのだ。



  環境と言っても自然環境だけではない。



  刻々と変わる社会通念や我々を取り巻く物質環境、生活環境の話だ。



  例えば携帯電話が普及した世界とそうでない世界では



  人々の行動だけではなく考え方や社会的常識も変わってくる。




  携帯電話のない世界では留守電に用件を吹き込んでも



  相手方がそれを聞くために家に帰ってくるのを待たなければならなかった。



  逆に言うとすぐに返信がなくても不審がられる事はなかったのだが。



  携帯が普及してからはそうも行かない。



  丸一日携帯に出ないと



  「もしかして海外にでも行ってるのでしょうか?これを聞いたら連絡くださ~い。」



   ということになる。



   留守電やメールに即反応しないのは



  何か特別な事情があるに違いないという常識出来てしまっているのだ。



  俺は日によっちゃ電話に一切出ないぜ、なんて言ったら、



  もう変人扱いか、もしくは仕事のできねー奴という烙印が押されてしまう。



  「スローライフ」なんて言葉が最近聞かれるが



  これは明らかに今言ったような風潮に対するアンチテーゼとして生まれたものである。



  僕もゆっくりと時間のながれる生活にあこがれのようなものを感じているが、



  へたに鵜呑みにして「スローライフ」を決め込んでいたら、



  是非に関わらず痛い目に遭う可能性が高い。




  このように携帯ひとつとっても世界に与える影響は計り知れない。



  でもこの20年と考えたときに思うのは、、



  そうこの間の変化とは、環境の変化の蓄積にすぎず。



  我々に真の変革のようなものは一切起きなかった、という事だ。




  僕はこの20年「何かを変えてみよう。」その一念でやってきた。



  歌謡おこちゃまロックとの 決別。



  日本語のロックの確立。海外に対抗しうる音楽。



  日本の進むベきそして作るべき音楽シ ーンについて。そんな事をずっと考えてきた。



  



  真の改革は一切起きなかったと先程述べた。だとしたら僕の仕事はまだまだあるという事でもある。(笑)



  そう20年が単なる通過点にすぎないということがよくわかった。




  僕は、叫んでいる。今年も同じように叫びたい











                          23.12.2007 هو مكتوب حاليا اويدا




20年も 25年も 









この先も ずっと 













最近思うんだ









案外 未来は 夢見た以上に 描いた以上に 思った以上に









素敵なんじゃないかな 





 





それは 今を どう生きて どう過ごして









今を どう夢見て 今をどう描いて









今をどう想う事が出来るかによって





















私は この25年 彼らが鳴らし 叫び 奏でてくれたこの時間









シハンセイキ  1875.9.21⇒2012.9.21 という ジカンに









体中全部 心から 私のすべてから 感謝します









そして









やっぱり









これからも









ずっと ずっと 









よろしくお願いします














ヨ コ ミ チ ナ ジ カ ン