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【伊藤博文が名付けた『春帆楼』】
歴史ある老舗
『春帆楼』でも
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『春帆楼』の歴史は
簡単に語れませんが
『春帆楼』の語源を調べ
簡単にまとめてみました。
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馬関と呼ばれていた下関
北前航路の要衝として
『西の浪速』と称されるほど
活況を呈していた。
下関は討幕をめざす長州藩の拠点
騎兵隊や諸隊の隊医(軍医)として
長州戦争に参加した
玄洋のひとがらに惹かれ
伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋など
維新の志士達も頻繁に
出入りしたと言われています。
『動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し・・・』
伊藤博文がのちに
高杉晋作顕彰碑(吉田・東行庵)で
讃えた晋作が組織した
騎兵隊の本拠地が
阿弥陀寺(現・赤間神宮)であり
その跡地に建ったのが
現在の春帆楼です。
春帆楼と言う屋号は
『春うららかな眼下の海に
沢山の帆船が浮かんでいる』
様から伊藤博文が名付けたました。