男大迹大王が都を置いたとされる弟国宮(おとくにのみや)は 今の京都府長岡京市今里の乙訓寺(おとくにでら)付近と言われています。その地を訪ねました。
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京都府長岡京乙訓寺
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朱塗りの山門を入ります。
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この寺は「ボタンの寺」として有名で 春にはたくさんのボタンの花が咲きます。
左が牡丹園です。
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牡丹園のはずれに 大きな草鞋を掛けたお堂がありました。
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中を覗かせてもらうと 沢山の仏様たちが いらっしゃいました。
どういうお堂なのか 分かりませんでした。
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この寺はかつて空海が 嵯峨天皇に 別当に指名されて たいそう大きなお寺だったそうです。
お像は 弘法大師 空海で その向こうの木は 柑子(こうじ)の木で 木の実は柑橘類で
空海は木の実に 漢詩を添えて 嵯峨天皇に送ったそうです。その柑子の木は今も実を付けています。
ちなみに 空海は 唐で短期間に密教の最高継承位を灌頂儀式にて受け、膨大な密教仏典も
持ち帰っていたので 最澄はこの寺へ来て 空海に密教の教えを請うたとされています。
※司馬遼太郎「空海の風景」
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彦太の君と 男大迹王
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旧出雲王家の 東出雲王家、向家は かつてイクメ大王に命を狙われた 武内の臣太田根(俗に言う野見宿禰
ーのみのすくね)の命を助けて匿ったことから その子孫の曽我家とも大変親交があり、姻戚関係が続いていました。
向家の彦太の君は 蘇我総本家に男子が途絶えたときに 乞われて蘇我総本家振り比賣に婿入りをしました。
彦太の君は 振り比賣と結婚すると 三国港を整備して 海運を盛んにしました。
更に 敦賀から荷物を馬車で山越えして 琵琶湖、宇治川、淀川を経由して難波に至る水運も整備しました。
財力も 人望も厚くなり 北陸豪族の盟主となり 男大迹王と呼ばれました。
時に大和では 大鷦鷯王朝(オオサザキ)の大王が途絶えたので 重鎮二人が 男大迹王を訪れて 大和大王就任を
要請しました。大友之金村と巨勢の臣男人の二人です。
蘇我男大迹王は億計大王の手白香姫を后とすることの条件をのみ ここに男大迹大王が誕生しました。
※ この辺りの詳しいことは この「古代出雲ゆかりの地」の 記事番号62-2 blog6に載せています。
また武内の太田根がイクメ大王(垂仁)の放った刺客に追われる項は 記事番号62 blog6
に載せています。
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男大迹大王は 水運を発展させるうえで 便利な三川合流地域(桂川、宇治川、木津川)に着目し 今の長岡京市
今里付近に 都を構えました。その地は水運の便利さに加えて 出雲王家第八代副王(役職名事代主)に嫁がれた
阿武山を中心とする 三島家の地盤の近くであり、三島郡(今の高槻市)は かつて出雲王家の所領と成っていたから
出雲系の民も多く、三島家の協力を得ることができるからでした。
都の建設等を助けるため、日本海沿岸地域の 国造家の子弟がたくさん集まり、男大迹の君の下で働きました。
男大迹王の邸宅は 彼の生家の近くの神魂神社(かもす)に似た邸宅を建てたので 人々から「弟国宮」と呼ばれました。
その評判と 名声はますます大きくなり、出雲系関東の国造家からも 沢山の子弟が 弟国に集まり男大迹王のために
働きました。出雲系関東国造家とは 秩父、武蔵、相模、下海上、印波、菊麻、上海上、安房、須恵などです。
※乙訓寺公式サイト 乙訓寺の歴史 | Otokunidera にも弟国宮が載っています.
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継体大王は 続いて大和の香久山の東、磐余の地に 王宮を造らせた。その近くの曽我川の近くには 曽我家の
玉造工房があった。玉造工房で造られる首飾りに因んで その王宮は 玉穂宮と呼ばれた。
弟国宮は 振り比賣との王子の 金日 押盾 たち(後の安閑大王、宣化大王)にまかされた。
そして 男大迹大王の後は 金日、押盾が大王になり、その後手白香姫の皇子のヒロニワ大王(後の欽明)となり
古代史は大きく動いていく。
継体大王以後の 系図を下に載せます。この図は 斉木雲秀先生の本をもとに私が作成したものです。
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男大迹大王以後の系図
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※ この記事は 斉木雲秀著 「飛鳥文化と 宗教騒乱」、「出雲と蘇我王国」その他大元出版の多数の本を参考にしました。
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弟国宮 おわり
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