『春田光治・魅惑の南仏料理』を読む会
@水戸市泉町「雑貨と珈琲の店・たけうち」
7月22日(土)午後5時から7時(出入り自由)
2020年7月22日にジャニーこと春田光治さんが亡くなられて3年が経ちました。渋谷区神南の自宅の一部を改装して1969年に「Chez Johnny 」が開店し、瞬く間に繁盛店になりました。開店から15年を経た1985年、世はグルメブームとなり舌より頭で料理を食べる客が増えたことに嫌気して、大繁盛の店を閉め田舎暮らしを考え、1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。10年を経過しレストランを再開、安比高原~盛岡と移り住むが何れも知る人ぞ知る、の仏蘭西料理店でした。時を経て「Chez Johnny “シェ・ジャニー”」を知らない方が殆どの時代となりました。
伝説の料理人・幻の料理人ともいわれた『春田光治・魅惑の南仏料理』を読み、ブログの記事えを見ながら春田光治さんの人となり、料理について、食についてのおしゃべり会を開きたいと思います。
会費は無料ですが、飲み物代は各自でご負担願います。
《ジャニーこと春田光治さん略歴》其の1
昭和15(1940)年3月、兵庫県生まれ。
父は三菱銀行の銀行マン。生後間もなく東京の麻布に移り、幼稚舎から慶應義塾に学ぶ。
春田家の肖像・ジャニーが小学生の頃、裕福な家庭で育った。
左端の母親の手元に。
普通部(中学3年)の時に渋谷区北谷町、今のNHKの近くに引っ越した。
食糧難の時代背景であり食べるものに関心を示す。
母親の影響で、幼いころから料理に関心を持つようになり、中学時代は母と交代で料理を作り、料理コンテストにレシピを応募したこともある。
高校時代に買い求めたエスコフィエ著『LE GUIDE CULINAIRE』の原書を読み研究する。
この本は、終生の教科書となった。だったが、他にも多くのフランス語の料理の本を蔵し、疑問があれば常にひも解いていて、研究を重ねた。
家にはアメリカ人が出入りしていたようで、兄は「ケニー」姉は「パッツイ」光治は「ジャニー」と呼ばれた。以来「ジャニー」が通称となった。
そのような環境で育った、兄は早くにアメリカに渡りベルハウエルに勤務し、アメリカ人と結婚し、アメリカで暮らしている。
大学生の頃
外国に行くのが難しい時代であったが、昭和37(1962)年に慶応義塾大学卒業後にフランスに渡り、ボルドーの「プランティエ」で1年間修業する。
子供のころから包丁を握っていた彼の調理技術は高く、シェフも周りのスタッフも何の文句もつけなかったらしい。
大学在学中に学生結婚した、と語っているが2人で行ったかは不明だ。
ボルドーでの修行中にフランス料理について会得『料理は勘でも秘伝でもない、理屈です。一流の店のシェフはまるで医学書を読むように料理書に親しみ、何時も思索している。そして自分のレシピを公開することを惜しまない。レシピを他人に明かさないシェフはよほどの変わり者か三流の人だけです』が持論。
ボルドーでの修行の後、ジュネーブ駐在の青木大使が公邸付き料理人を募集していると知り応募し、昭和39(1964)年から4年間、公邸付き料理人となる。
大使は大変な食通で「美味しいモノなら何でも作ってみなさい」と言う。それなら、と多くの料理に挑戦して要望に応えた。
昭和43(1968)年、ベトナム大使館に転勤になった大使に同行し、ベトナムに1年の勤務を経て、ベトナム戦争の激化に従い帰国した。




