向島百花園@墨田区東向島3‐18‐3
向島百花園は文化・文政期(1804~1830年)に骨董商を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)が、花の咲く草木の鑑賞を主として開園された。
当初は360本の梅が主体で、亀戸梅屋敷に対して、新梅屋敷とも呼ばれた。
現在は都営庭園となり、国の史跡・名勝に指定されている。
東都三十六景「 向しま花屋敷七草」・広重
入り口の近くの亀田鵬斎「墨沱梅荘記」の碑・文化11年(1814)建立。
深川や向島は松尾芭蕉の所縁の地、芭蕉が枯れてしまったとのことで、植栽工事が行われていた。
園内は百花に加えて文人墨客の石碑が29基在る。
こにやくのさしみも些し うめの花 はせお
文化11年(1814)、芭蕉没後120年を記念して建立された。
この句は芭蕉が亡くなる前年の元禄6年(1693)の作とされ、ようやく梅が咲き初めた早春、亡き知人に梅一枝を添えた刺身蒟蒻をお供えしますとの追善句。芭蕉自身、蒟蒻が大好物だったようだ。
春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅 はせお
天保7年(1836)旭連という俳句同好の集まりが建立。
柔らかく霞んだ月と淡い梅がほころんで、ようやくはるらしい気配を詠んでいる。元禄6年(1693)の作と言われ全国各地に建立されている。
新梅屋敷として始まった百花園の、四季折々の風情を誇る百花園の入り口にふさわしい。
春の花の端境期だが「ボケ」の白と赤の交じり咲
後藤清一さんのお宅で周時代の青銅器にたっぷりの水を入れ、その水が器体の外に滲み出て、あたかも翡翠のようであった。今もその情景が離れられず、ボケの花を見ると思い出す。
自然の沼地の趣をたたえた池がある。
夏には花しょうぶも楽しめるようだが、今はない。
縦長の沼の奥にスカイツリーが聳える。
御成り屋敷と茶筅塚
百花園には早い時期から、身分の高い武家や僧侶の休憩場所として、数寄屋造りの「御成座敷」の一棟があった。
この御成座敷は松尾芭蕉のファンであった酒井抱一の設計と伝えられている。
創建当時の御成座敷は戦災によって焼失したが、1958年に現在の集会施設として再建された。俳句の会などにも貸し出される
竹林の陰に、早くもシャガ(射干、著莪、胡蝶花)が咲いていた。
我が家にも沢山あったが、いつの間にか消えてなくなった。










