弘道館の正門開放と孔子廟、八卦堂の特別公開@水戸市三の丸

 

東日本大震災から12年。

水戸の街も大きな被害を受けたが、完全に復興した。

10年以上も経ると、記憶も薄れてくる。

震災を忘れない!の意義を込めてなのでしょう、弘道館の正門開放と孔子廟・八卦堂が特別公開された。(明日12日も公開される。)

 

 

 

正門から大手橋・再建された大手門を望む。

正門は本瓦葺きの四脚門で、藩主の来館や特別な行事の際にのみ開門したとのこと。学生や諸役人は向かって右側の通用門から出入りしたので本来は通れないはずだが、我々の中・高時代は自由に通れる通学路だったのが不思議だ。

 

 

正庁正面玄関。

来館者控えの間、床の間の「尊攘」の掛け軸は、水戸藩の藩医で能書家として知られた、松延年の筆で安政3年(1856年)に斉昭の命で書かれた。

 

 

正庁正席の間に藩主が臨席をして、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験をご覧になったところ。

床の間には、弘道館の建学精神が示された弘道館記碑の拓本が掲げられている。

 

 

庭にはサンシュウの大木が何本かある。

サンシュユは葉が開くより先に開花するので、株全体が鮮やかな黄色に包まれる。

 

 

至善堂御座の間

大政奉還後の慶応4年(明治元年(1868年))、慶喜は水戸へ下った。

至善堂にこもり、静岡に移るまでの約4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送った。

 

 

 

 

 

孔子廟(こうしびょう)は、弘道館建学の主旨のひとつである「神儒一致」の教義にもとづいて、儒学の祖である孔子を祀るために建てられた。

戦災による焼失を戟門(げきもん)のみが免れ、昭和45年に復元された。

※孔子廟内は通常非公開。

2014年3月の特別公開時に拝見以来、久しぶりに拝観。

 

 

 

 

八卦堂(はっけどう)

建学の精神の象徴である弘道館記碑を納めた八卦堂。

八卦堂のそれぞれの軒には、万物変化の相を示す易の算木(さんぎ)を配し、その中に弘道館記の碑を建てた。戦災で八卦堂は焼け、昭和28年(1953年)に復元された。※八卦堂内は通常非公開で今回は特別公開。

 

 

水戸の六名木の一つ「江南所無」(こうなんしょむ)

明るい紅色の大輪で、花弁は厚く、しべを抱え込むように咲く。

徳川光圀の遺愛の品種で中国由来と言われ、江南地方(中国)にこれ以上の梅はないと言う意味で名付けられたという説がある。

 

 

要石歌碑

斉昭の自詠自筆で「行末(いくすえ)も ふみなたがへそ 蜻島(あきつしま) 大和の道ぞ 要なりける」

歌意と鹿島神宮の「要石」になぞらえ「要石歌碑」という名がつけられた。