今から約100年前の大正14(1925)年に、旧制「水戸高等学校」に在学していた土方定一・小林剛と「茨城新聞」の学芸部長であった津川公治の3人によって総合文芸誌『彼等自身』創刊号が11月1日に発刊された。
編集及び発行所は津川公治の自宅であった水戸市荒神町(現・城東2丁目)に置かれた。表紙のレリーフはゴーガン。
扉絵 ゴッホのエッチング
『彼等自身』創刊号の目次
挿繪・ブレイク面型 デブヰル
ウイリアム・ブレーク(William Blake, 1757 - 1827)のライフマスク。
ブレイクはイギリスの詩人、画家、銅版画職人。
1807年・50歳の時に骨相学者 Devlleが製作を依頼。自身の顔をキリストやソクラテスに似ていると称し「光を発しない貌は星になれない」と言いていた。
ブレークと同年に死んだベートーベンのデスマスクにも似た感じをうけるが20年前に制作されている。
クネルゲ博士の最後(小說) ヘルマン・ヘッセ 日野 訳
左傾的文藝について(感想) 武者小路 實 篤
譯詩帖より(詩) 故渡邊康夫譯
『桃 源』と題した和紙に刷られた木版画は、小川芋銭 が描いた原画を彫刻家の 後藤清一が刻した作品。
芋銭の境地がよく表現された小品。
同人が「六號雑感」という共通のタイトルで感想を述べた部分もある。
「六號」が何指しているかは不明だが、小林剛の書いた文章に『彼等自身』創刊のいきさつが語られているので、一部を抜粋。
『折角 水戸に集った人がそのま別れてしまふのは、何だか惜 しい様な気がするので、此の雑誌を作る事にした。と云ふのは僕一人の考へからではなく、 生沼先生や中村先生からもの御奨めもあって、 土方や津川と相談の上、かうしたものを作って見た。
変に理屈をつければ、郷土芸術とも云ふべきものを、高等學校中心 にやって行かうと云ふのが、まあ目的と云へば目的だ。しかし、そこに 集った人が、特別に、水戸と云ふ土地に愛着を持たず、自分一個の境地に立って、自分の芸術を作ってみてもかまわぬと思ふ。何も窮屈 にして、郷土芸術を作らねばならないと云ふ事は少しもないのだから之は又、僕等が表紙絵や口絵に、あんなものを選んだ言譯にもなる。 とって、郷土趣味がうまく出てくれるなら、勿論嬉しくは思ふ。だから、この土地の古い事なども、段々に研究して行きたいと思つてゐる。矢張り、正しい伝統の上に立った方が、何処となく力強い様な気がする。 又、多くの古人が為した努力は、それ自身に於て存在値があると共に、人がそれをするのは富すぎる位の當然の事だ。勿論 それを学ぶぶべきか否かは、ことでは問題でない。』以下続くが同人誌というより『早稲田文学』のような学校を中心として永続させたい。というような考えであったらしい。
結果として『彼等自身』は大正14年11月から翌年3月まで5冊発行された。









