朱舜水木像(しゅんすいもくだ)@水戸徳川ミュージアム・水戸市見川

 

 

 

 

「水戸徳川ミュージアム」の本館第1展示室の中央に朱舜水の木彫座像(高さ176㎝)が安置されている。

道服をつけ紗帽を被り、当時の中国の貴人の習わしで手の爪を細長く伸ばしている。現代日本も若い女性の爪美容が盛んだが、これほどまでに伸ばした人はいない、異様な長さだ。

髭、肌 のシミまで写実的に表現されており、その風貌がよく伝わってくる。

 

解説には木像(もくだ)とある。

光圀の命で描がかれた「舜水画像」をもとに五代藩主・良公(宗翰)の頃、長崎の名工・前田藤内 によって作られた木像。

 

朱舜水 (1600-1682) は中国の逝江省余姚出身。

明王朝が滅亡し、日本に亡命し 長崎に住むようになった古学・ 詩書に秀でた儒学者で 寛文5(1665)年 水戸徳川家 2代光圀に招かれ 江戸に迎えられた。

以後、17年間に渡り光圀の学問の師として、光圀に大陸の進んだ知識や情報を授けた。

水戸藩邸の庭園(現・小石川後楽園)は初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を二代光圀が改修し、朱舜水の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。

中国の文人たちが好んで歌った西湖や廬山も採り入れた中国的、儒教的な趣好が濃厚である。

没後、常陸太田市瑞龍町の水戸徳川家墓所に葬られたが、徳川家一族以外唯一の人物とされる。

 

物語『水戸黄門』に登場する渥美格之進のモデルといわれる安積 澹泊(あさか たんぱく・通称は覚兵衛)は3年の短い間だったが朱舜水の門下生だった。

澹泊は江戸駒込邸(現・東大農学部の敷地)に建てた「朱舜水祠堂」が火災に遭ったまま復旧していないのを残念がり、再建を願い出た。

10年後に願いが叶い水戸の八幡小路、今の北見町に建てられた堂内に安置された。

 

 

朱舜水祠堂・絵図

 

 

祠堂守を学者一族の青山氏が務めたが、明治維新で退廃の憂き目にあい、常陸太田瑞龍山の水戸家墓所に移され、現在は水戸徳川ミュージアムへと安住の地を得た。