舞鶴引揚記念館@舞鶴市

「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑤

 

 

 

 

「舞鶴引揚記念館」は、引き揚げやシベリア抑留を後世に継承し、平和の尊さを広く発信する施設として、昭和63年4月に開館した。

 

昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、旧満洲(現・中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残された。

これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならなくなり“引き揚げ”が開始された。

呉をはじめ18港の引揚港が全国に次々と設置された。

舞鶴は、主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となり、昭和20年(1945)10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港し、13年間にわたり66万人の引揚者を迎えた。

 

現在は「引揚者」という言葉を知らない人が多いが、今回の旅の仲間3人は昭和16年・17年(1941・42)の生まれで、親類や知人に引き揚げて来た方々もいるから普通のことだった。

当時は「尋ね人の時間」というラジオ放送が毎日あった。

元の住まいの場所と氏名が次々と告げられ、安否の情報を問う内容だ。

 

 

 

 

 

 

 

☆常設展示1 苦境の記憶、激動の昭和初期、満州開拓、終戦による

武装解除、シベリア抑留生活

☆常設展示2 帰還そして再開、岸壁の母、岸壁の妻コーナー

☆常設展示3 平和への祈り、引き揚げに功績を残された方々

 

 

 

引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親の一人である端野いせをモデルとして二葉百合子の「岸壁の母」(1954年)は長い間歌い継がれており、映画も制作された。

 

 

 

 

シベリアに抑留された方々は広範囲にわたる。

2007年にウズベキスタンを訪問した際、タシケントの広場に日本人捕虜によって作られた「ナヴォィ劇場」を見て「日本人墓地」も参拝した。

 

 

パネル展示のほか、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着をはじめ「引揚證明書」など約1万6千点の貴重な資料を蔵するが、常時1000点を超える品が展示されている。

 

*旅から戻って、Tさんからのメールには『今回の旅で、「舞鶴引揚記念館」における印象が強く、CDの「岸壁の母」を何回も聴き、展示の写真、文物を思い出しています。なにわ蘭友会会員で、現在93歳の顧問がシベリヤに抑留され、黒海付近の収容所数年間過ごされた話を伺っていましたので、記念館の展示物などから当時の様子が理解できました。今朝も「岸壁の母」(歌:菊池章子)を聴きました。』