「水戸のロマンチックゾーン」スタンプラリー (其の壱)
3月01日 ~3月21日
水戸の歴史的な遺産が点在する「水戸のロマンチックゾーン」内に設置された10箇所のチェックポイントのうち、5箇所のスタンプを集めると、地元の銘菓が当たる抽選会に参加できるスタンプラリー。
何度か訪れている場所だが、運が良ければ「吉田屋の吉原殿中」をゲットできるチャンスとあってチャレンジ。
水戸八幡宮
天正19年(1591)佐竹義宣が江戸氏を滅ぼして水戸城主になると、翌年の文禄元年(1592)馬場八幡宮の分霊を水戸城中に奉斎したのが始まりと伝えられる。
後に八幡小路(現在の水戸市北見町)に遷座し、慶長3年(1598年)に本殿を建立。
宝永6年(1709)に現在地に遷座したが本殿は当時のままで、国指定の重要文化財。
国指定の天然記念物「お葉付銀杏」、「烈公御涼所」「山あじさいの小路」「白幡山下製作所跡」水戸城外郭の土塁と堀跡などが在る。
祇園寺
祇園寺の前身は、佐竹氏が開いた天徳寺。
天和3年(1683)徳川光圀が明から亡命し長崎に滞在していた東皐心越(とうこうしんえつ)禅師を迎え住持とした。
心越禅師は元禄8年(1695)に入寂し、その後正徳2年(1712)天徳寺は河和田村に移され、そのあとが寿昌山祇園寺として改号され、今日に至っている。
祇園寺開山・心越禅師の廟
心越禅師の在世中は祇園寺ではなかったが、水戸祇園寺の開山として、曹洞宗寿昌派の祖として崇敬されて来ている。
幕末期の水戸は市川氏・朝比奈氏などの保守・門閥派の「書生党」と改革派の「天狗党」との争いが足掛け5年に及んだ。
祇園寺には「書生党」の市川三左衛門・朝比奈弥太郎などの墓地が在る。
中村彝の墓
近年の著名人では洋画家の中村彝・漫画家の山田みのる、などの墓地が在る
中山備前守の墓
2代の風軒信正(1594-1677)と4代の信行(1648-1682)がねむっている。
光圀のご意見番的な存在だった風軒信正は、三代将軍家光と大久保彦左衛門 の『家康と彦左』と似た『光圀と風軒』の関係だった。
心から直言する風軒を光圀は頼りにした。
延宝5年(1677)10月28日、風軒死去(84歳)。
追悼の和歌を詠み「恭子」をおくり名にした。
山村暮鳥の詩碑、 詩集『雲』から。
おい、そつと そつと しづかに 梅の匂いだ
山村 暮鳥(1884・明治17- 1924・大正13)は、明治・大正期の詩人、児童文学者。 本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)。
墓所は、歌碑の対岸に在る江林寺墓地(祇園寺管理)
保和苑参道(保和苑入口)
大悲山保和院桂岸寺の山門。
桂岸寺は水戸谷中の“お三夜さん”(二十三夜尊)として親しまれている。
水戸藩付け家老中山風軒(信正)の供養のため三代目信治が天和2年(1682)に建てた寺で、はじめ香華院と云ったが、元禄7年(1694)に光圀が保和院と改め、後に桂岸寺という現寺号になる。
桂岸寺の裏庭にあたるのが「保和苑」












