水戸八景「仙湖暮雪」@水戸市常磐町・偕楽園南崖

 

 

 

「仙湖暮雪」碑

縦128㎝・横119㎝の山型の自然石で花崗岩のようだ。

側面は自然のままだが、全面と後面は平らで側面から見ると、平べったく感じる。

水戸八景は中国の「瀟湘八景」日本の「近江八景」をモデルにしたと思われるが、他の日本の「何々八景」より親しまれているのは選定者の烈公らが八景の漢詩や和歌を多く詠み、吟道愛好家の人達によって、しばしば吟じられるのが、全国的にも知られる理由かもしれない。

 

 

偕楽園の南崖の中段に在り、ちょっと見過ごしてしまうような所に在る。

明治時代頃まで、常磐線の線路の辺りまで千波湖だった。

 

 

明治時代の「仙湖暮雪」の図版。

『常磐公園攬勝図誌』松平俊雄(1885年)より。

 

 

版画ほどの絶壁ではない。

造成を重ねるうちに、段丘のようになったのかも。

やはり、急な崖かな?

 

 

南崖の洞窟

「神崎岩」と呼ばれる泥岩の採石場跡が洞窟となっている。

2代光圀から明治時代まで水道の岩樋、七輪の様な台所用品など多目的な用途に泥岩が切り出された跡で延長150mあるとか。

ここから東に沢山の洞窟跡がある。

 

 

洞窟跡入り口の左側に露出している泥岩層。

 

 

茨城百景の碑

八景碑の東側に茨城観光審議会が昭和25年に制定した「茨城百景」の第1号。

千波湖と偕楽園を繋ぐ跨線橋が建設されて陰になってしまったが、第二次大戦前まで、この上の辺りに旧「彰考館」在り、さらに東側には温泉旅館などが在った。

 

 

「茨城百景の碑」の東側50㍍位のところ、常磐神社の大鳥居の前に「水戸の梅祭り」の期間中限定で、JR「偕楽園駅」が開設される。

昭和30年頃の臨時駅の脇は旧国道6号線で、多くの車が走っていた。

すぐ隣に踏切があり、列車事故が絶えなかった。

現在の状況からは想像もつかない

 

 

「八景碑」から西側の遊歩道の際に、正岡子規の「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」句碑が在る。                 

子規が、現在の東京大学の予備門在学中の明治22年の4月、春休みで帰省しているはずの学友・菊池謙二郎の水戸の実家を友人と二人で訪ねた。

あいにく菊池とは行き違いで会えなかったが、子規が好文亭に上り崖に懸命に咲く梅を見た際の印象を後日に句とした。

この碑は、昭和28年(1953)に常磐神社境内の東湖神社裏に建てられたが、昭和40年(1965)に現在地の南崖斜面に移設された。