水戸八景「村松晴嵐」@那珂郡東海村大字村松

 

 

 

水戸徳川家第九代藩主斉昭(1800~60)が、天保年間に水戸領内の景勝の地八ヵ所を選定し、藩内子弟の風月鑑賞と、八景巡りによる心身鍛錬を意図して、石碑を建てた。

何れも、斉昭自筆の雄渾な隷書の四文字が刻まれている。

隷書は前漢の時代(前3世紀末~後1世紀)に作られた隷書を「漢隷」と呼ぶが、斉昭が得意としたのは「漢隷」に属する「水戸八分」という独自の書体。

「村松晴嵐」はやや円形に近い自然石で、縦90㎝・横95㎝。

 

 

誰が置いたのか、石碑の周りや上に貝殻が乗っていた。

勝手に取り払うのもどうかと思い、そのままにしたが、撤去すべきだろう。

 

 

虚空蔵尊の三重塔

 

 

村松大神宮

 

 

 

「村松虚空蔵尊」或いは「村松大神宮」の裏山という感じで、どちらからでも10分足らずで行くことが出来る。

 

 

石碑が在るのは砂丘の頂上という感じで、建碑時から大正時代頃までは、海岸線を望むことが出来たようだ。

其の後、海岸線が沖合に延び、かなりの距離がありそうだ。

ここから先は「日本原子力開発機構」関連の敷地で、フェンスで囲まれ通行することは出来ない。

 

◎「原子力の平和利用」をめざし,東海村に原子力研究所が設置されることが決まって約1年後の昭和32(1957)年8月27日,東海村の実験用原子炉に初めて原子の火がともった。