「戦争時代のお話を聴く わたしは戦争を忘れない」

8月2日(月):14時~16時 @みと文化交流プラザ 6F大会議室

 

 

8月2日は水戸が空襲を受けた日。

戦争と水戸の空襲を体験した亀田博子さんと小菅次男さんのお二方から「どこで何が起きたか」をお聞きし、語り継ぐ集いが「みと文化交流プラザ・6F大会議室で開かれた。コロナ感染が収束しない現状を鑑み、予約の定員100名限定の会だった。

小学生を連れた親子が大半を占めていたのは意外ではあったが、若い世代が関心を持って参加されていたのは、嬉しいことだった。

 

 

 

 

水戸が空襲を受けた地域と、今回の話に関係する場所を示した地図。

 

 

 

 

亀田博子さん

1930(昭和5)年7月、水戸市生まれ。国民小学校3年の頃に日米が開戦。

茨城県立水戸高等女学校に入学するも戦争の激化により、勤労動員で日立の鮎川工場まで通わせられるような学生生活を送った。

 

 

 

 

小菅次男さん

1936(昭和11)年水戸市五軒町(現・泉町)生まれ。

小学時代を父親の勤務先・常陽銀行本店構内の社宅ですごした。

 

空襲を受けた年の夏、桜川で米軍グラマン機の機銃掃射に合うが助かる。

空襲の夜は家族と離れ離れ、水戸東武館の竹やぶに逃げ込み焼夷弾を間近に受けるが間一髪で逃れた。

等々の逸話など、パワーポイントを駆使してわかり易く説明した。

 

お二方とも戦前・戦中・戦後を通し過酷な体験をされた。

現在の平和な時代だからこそ、それらを語り継ぎたいと機会が有るごとに実践されている。

 

 

 

 

会場の隅に当時状況を知らせる展示コーナーが設けられた。

家族で熱心に見つめていた。

 

8月2日、蒸し暑い一日だった。

しかし、1945年のこの日の水戸は、正に地獄のような熱い日であったに違いない。

今年80歳を迎える僕でも、記憶も少なく知らないことばかり。

75年前の出来事をどれくらい理解できるのか?若干の不安は感じるがこれを機会に多くを知り伝えなければ、との思いを強くした。

 

恒例となっている一連の行事が継続され、さらに大きな環になること願っている。