「水戸空襲戦災誌」水戸空襲戦災記録の会 編 水戸市役所 発行(1981年)
「水戸空襲戦災記録の会」によって編集され、昭和56年3月に水戸市制施行90周年記念事業の一環として発行された。
全618頁中の385頁を市民180人の証言にあて、寄稿・聞き書き・日記等の体験記を収めてある。
出版されて40年を経過し、執筆者の多くは亡くなられてしまった。
今となっては聞くことが出来ないことを、ありのままに語った貴重な資料。
「水戸空襲戦災記録の会」による7年間の記録運動の締めくくりとして纏められた、この本の歴史的意味は大きい。
第一編に水戸空襲と市民生活
第三編に資料と年表、戦災犠牲者名簿なども掲載されてある。
「水戸市平和記念館」(水戸市三の丸1丁目)は水戸空襲戦災記録や戦時中の市民の生活などについて、当時の資料や写真パネルを用いて展示されている常設の記念館。
開館時間:午前10時から午後4時まで。火曜日、水曜日は休館日。
入館料:無料。
この記念館の展示品なども「水戸空襲戦災記録の会」によって収集された品が多く展示されてある。
市立博物館の協力でより内容が充実した施設となることを願っている。
1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲を端初として、日本本土への夜間焼夷弾爆撃が開始された。
水戸近辺においても、7月17日にアメリカの戦艦による艦砲射撃が勝田に対して行われ、流れ弾が吉沼地区に着弾した。
勝田には軍需工場が在り標的となった。
僕が4歳での時で、母親に背負われ千波方面に避難した記憶にある。
砲弾が花火のようにポーンポーンさく裂した光景は、千波湖の花火大会を見る度に思い出すトラウマ体験。
その頃から、鉄道の要所である水戸が空襲に遭うのは避けられない状況となり、
強制疎開、或いは自主疎開が始まった。
我が家も父と長女が水戸に残り、母と次女と僕の3人が栃木県に疎開した。
従って、水戸が空襲された8月2日の未明にはいなかったので、空襲による体験と記憶はない。
9月をすぎてから水戸に戻ったが、焼け野原にバラックが点々としていたことを憶えている。










