酒門共有墓地(其之壱)@水戸市酒門町320

 

 

 

 

酒門共有墓地は第二代水戸藩主徳川光圀が1666年(寛文6)に藩士のために城下の坂戸村(現:水戸市酒門町)に創設した共有墓地。

下町に居住する藩士には坂戸村に、上町に居住する藩士には常磐村(現在:水戸市松本町)に常磐共有墓地を設け、藩士の先祖供養の地と定めた。

当初は墓に戒名を記入することを禁じ、墓碑も一定の大きさと形に定められていた。

 

どちらも、水戸藩草創期から功績のあった藩士や幕末から明治維新にかけて、活躍または殉難した志士の墓が点在し、水戸市の史跡に指定されている。

水戸藩士とその子孫の墓地としてはじまったが、酒門共有墓地は藩士に縁のある一般市民にも分譲されているようだ。

(常磐共有墓地のほうが、規模も大きいのだが空きはなさそう。)

 

 

 

常陸山 谷右エ門(1874- 1922)本名は市毛 谷右衛門。

明治・大正の力士、第19代横綱。「

力士は芸人に非ず,武士である」と力士の社会的地位向上に努め「角聖」と呼ばれた。

 

 

 

佐川一信(1940- 1995)法学者・政治家・水戸市長。

『政治は最高の理念である』

 

墓前に佐川奈津子作『ねえねえ、みつけて、わたしを』が献本されてあった。

亡き父へ娘からの父の日のプレゼントだろうか。

 

 

小宮山楓軒(1764-1840)江戸時代中期-後期の武士,急激に儒者。

立原翠軒に学び,彰考館で「大日本史」の編修に従事、農政・歴史に通じた。

 

 

菅正友(1824 - 1897年)『大日本史』の編纂に従事。

維新後の明治6年(1873)石上神宮大宮司となり、古伝にいう神地から七枝刀や古玉を発掘して考古学に貢献した。

 

 

安島帯刀(1812-1859)

戸田忠敞の弟。徳川斉昭の水戸藩主擁立につとめ,側用人,家老を歴任。

水戸の尊王攘夷運動に指導的役割を果したが,安政の大獄で処罰され,切腹。

 

 

戸田忠敞(1804-1855) 

徳川斉昭の藩主擁立に尽力。側用人から執政となり,藤田東湖とともに弘道館の創設,天保の検地の実施,海防準備などにあたる。

安政2年10月2日の大地震の際,江戸藩邸で死去。

藤田東湖と「水戸の両田」と呼ばれたが奇しくも安政の大地震で共に圧死した。

二人を同時に失った烈公は急激に力を失った。