常磐共有墓地 @水戸市松本町

 

 

 

 

常磐共有墓地は第二代水戸藩主・徳川光圀が寛文6年(1666)年に上町に居住する藩士のために城下の常磐村(現・松本町)に創設した共有墓地である。

同年に下町の藩士には、坂戸(酒門)共有墓地がつくられた。

 

当時は迷信邪教がはびこり混乱していた世の中、光圀は純正な神仏の信仰を打ち立てようと、社寺の改革を実施した一環だった。

 

 

さらに葬祭の簡素化にも取り組み「喪祭儀略」という書物を編纂し頒布。

儒式(神式の要素も加味)による葬祭の仕方・墓石の大きさや形態まで規定して、贅沢に流れないように注意した。

 

 

水戸黄門漫遊記の「格さん」のモデルともいわれる安積澹泊の墓石。

後世に台座などが追加されているが準拠している。

 

常磐や酒門の共有墓地ばかりでなく、水戸市内の他の寺においても、ほぼ同様の規格に基づいて作られている墓石があるのが、注意深く見れば分かる。

 

 

藤田幽谷(右)東湖(左)の親子の墓。

幕末の混乱の中で活躍したから、別格の扱い。

 

 

 

関鉄之助、 桜田門外の変の実行部隊指揮者。

小塚原回向院に墓が在るが、明治24年(1891)に贈従四位を受けた際の碑だから大きい。

 

 

酒泉竹軒 彰考館総裁。

 

 

藤田小四郎 藤田東湖の四男、

筑波山挙兵の後、敦賀で捕縛され鰊蔵に監禁されたのち処刑される。

敦賀にも墓所が在る。

 

 

 

墓地の間に台地から下に通じる道が在った。

谷中新道の旧道が何処であったか気になっていた。

谷中の通りからは何度も折曲がるが、どうもこの道なのではないか。

後日、下から登りながら古地図を参照し、確かめたい。

 

常磐共有墓地には数多くの先賢志士が葬られている。

名前を列挙するよりも、墓域図をもとに訪ねてみるのが良さそうだ。